ADRESS PLEASE 
 うっかり教えるとトラブルになることがある。しかしホテルでは断れないからいい加減に書き捨てる。イミグレでも同じだ、ホテルの名、電話番号、住所など書く欄があるが面倒だし、第一どこに泊まるか決めていないことが多い。一度、シェラトンと書いたら係員がジロジロ見て「良いホテルだ」と笑いながら言った。そうだI’m Japaneaseと言って金持ちを装えばよかった、2、3歩歩いて気づいたがもう遅い。引き返してそんなことを言ったら厳しくチェックされるだろう。
 前に泊まった懐かしさからトルコの小さなホテルで正確に住所を書いた。日本に帰ってしばらくしてからクリスマスカードが届いた。残念、今まで宛先不明で戻されたカードがいくつもあったかもしれない。
 今はネットの時代、アドレスという言葉がさすのはパソコンやスマホになった。ラインにつないでくれと求められる。出稼ぎの国や閉鎖的な国ではワラをもつかむ気持ちだろう。しかし、英語で連絡されるのは面倒だし、ましてや他の言語だとまったくお手上げだ。翻訳機能を使うとわけの分らない訳が時々現れる。同様にこちらからもわけの分からない通信を送っているかもしれない。もし相手が何かを依頼してきたのなら、たぶん応じられないことばかりだろうから危うきには近寄りたくない。まして朝ごはん何食べたなどという会話はしたくもない。
 ところが相手に求められていないのに住所を教えたことがある。そのシリア人の少年は指が不自由だった、雪の中の高速バスだ。終点のイスタンブールから貨物船に乗り組む、はじめての航海だ、何ヶ月か先には日本に着くのだという。ヨコハマか?そうだと答える表情に陰影が沈んでいる。家族、友だち、故郷、離れるものが多すぎる。アドレスをメモして、これが住所と電話番号だ、ヨコハマは近い、来てくれご馳走する、新しい友だちだ。さっと顔が赤くなった、うれしそうだった。その後に連絡はなかったが、メモは大切にしまわれていると思う。  
ARMS
 日本ではあまり武器を飾らない、旧家の玄関の鎧兜やお城の展示室に飾ってある名剣はすべて美術品だ。神社に日露戦争の砲弾が立ててあったりするが、それは狛犬と同じように扱われている。ただ靖国神社だけが兵器を並べたてて異質の空間をつくっている。
 外国ではあちこちに盛りだくさんに武器が並んでいる。その国が最も強勢だった頃の遺品、ヨーロッパならナポレオンの時代の華やかな軍服と軍旗、銃と大砲だ。
 トルコやインドの武器は彫刻と宝石で飾り立てられている。長大なフリントロック銃や彎曲した刀剣がスルタンやラージャの古き良き時代を今に見せてくれる。イスタンブールのトプカピ宮殿にはルビーやサファイアを散りばめた武器が並ぶ隣室に日本の陶磁器がならべられていた、ほっとする展示だ。
 アメリカはロケットだ。スミソニアン博物館には月や火星に行った平和的な仲間と肩をならべてツンと尖った弾頭に原爆を詰め込んだ長距離ミサイルが競うように立っている。大砲も銃も弾丸をこめればすぐに戦場で使えそうだ、それを子どもも大人も誇らしそうに見ている。なにしろ世界大戦を勝ち抜いた国だし、家にも一番小さいサイズのがしまってあるのだろう。
 家族はまったく興味がないのでアイスクリームでくつろいでいただく。もっとも説明を求められても困る。ジャワの王宮で素晴らしい短剣クリスを見て娘が言った。「どうしてギザギザなの」まるで赤ずきんがオオカミの口をのぞいたようだ。「これで刺すと傷口が広がるし抜きやすいから」「どうしてそれだといいの」答えられずにムニャムニャ。武器に興奮するのは石器時代以来の男の業なのかもしれない。目を細めて喜んでいる顔は女・子どもに見せない方がいいだろう。
 ワシントンのネイビー博物館に列車砲が置いてあった。ドイツからの分捕品なのだろう、錆に覆われた砲身をのぞくとポカンと開いた口から青空が見えた。お役に立てなくてすみませんでしたと言っているようだ。それでいいのだよ。  
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