BELIEVE
    国によっては出入国カードに宗教欄がある、排他的な信仰を国教にする厳しい国が覆い。BUDDAと書く、この欄だけは冗談が通じないからブードゥなんて絶対に書いてはいけない、神道だってカルトと間違えられるかもしれない、だからここでは仏様を頼りにするのが一番だ。
   お祭りに行くと目を疑う光景がある。ヒンドゥのカーリー神は血を求める、祠では連れてきたニワトリや子ヤギの喉が次々に切られて鮮血乾く間もない。死体は裏に据えられた大鍋の熱湯にくぐらせて食べられる状態になって返される。血だけが供物で他は食物というのが合理的だ。
   イスラムの奇祭もトルコで見られる。頬を針で貫き、鎖で自ら鞭打ち、皮膚に鉤を刺して大きな錘を引きずって歩く。舌と唇を針金で刺し通している男女がいる。信者は熱狂して苦行を讃える。マレーシアも同じような祭りをするがヒンドゥなのか区別がつかない。
   トルコのスーフィ僧はCDの上に立っているように回転する、長いフレアーのスカートが美しく広がる。30分も1時間も恍惚の踊りを続けて平然と帰っていく。
巡礼は世界中にいるが、一番過激なのはチベットの巡礼だろう。一歩ごとに地面に四肢を投げ出しお経を唱える。手には厚い手袋、膝には雑巾のようなサポーターを着け、髪も全身も汚れきって埃だらけだ。車に容赦なく排気ガスを吹き付けられながら何百キロもの道のりを行く。しかし五体投地は体と心に良いことだと巡礼者は言う。そのうえ出かける時には無一文でも巡礼への報謝を集めるとかなりの金額になって持ち帰ることができる。何回も巡礼をして資金を貯め店を開いたという人も多いらしい。
    ラテン系のマリア像も中国東南アジアの仏像もすべて白塗りの顔に赤い口紅、濃いアイシャドウが不気味だ。けれど日本で煤けた仏像を見たら同様に気味悪く思うだろう。
マレーシアの老人は4人の妻を紹介してくれた。一番末はまだ少女、とても愛しそうな素振りだった。心をこめて平等に世話をしている、それが神の定めだからという。ちょっと苦笑して、なかなか大変だとつぶやいた。
    神を信じているかだって、息をしなければ死んじまうだろ、ジャングルの教会で老人に諭された。不信者はUNをつけてアンビリーバブルとしか言えない。
   
BRIDGE
 ローマは軍団移動のために橋を造った、それが丈夫だったので今でも使っている。スペインの山奥の小川にかかる埃を浴びた石橋も由緒正しいローマンブリッジだった、車で通過してから気づいただけだ。しかし伝説の橋はいくつもある。首なし騎士や川の娘、石を投げる巨人、造ったのは悪魔だという橋。日本にも人柱や橋姫、小豆洗いが「人取って食いやしょうか」とつぶやく橋がある。結界だから気味悪いのは世界共通だ、決して天使は立っていない。スペインのメリダの橋は目もくらむ深い谷にかかっている巨大なアーチだ。小道をたどれば流れまで降りられるだろうが、見上げると鳥肌が立つだけだろう。観光客はそこまで刺激と苦労を求めない。
 イスタンブールのガラタ橋が好きだ。イェニモスクとガラタ塔を結んでいる。日本が援助したボスホラス橋は見えるだけでいい、こちらは渡るのが楽しい。オスマントルコに攻められたビザンツ帝国は鎖で金角湾を閉鎖して首都を防衛した。攻め手のスルタン、メフメト二世は新発想の戦術家で同時代の織田信長によく似ている、閉鎖結構ならばといって艦隊を山越しさせた。ガレー軍艦を牛に引かせて引き揚げ、金角湾に滑り落として背後を衝かれたビザンツ海軍を撃破した。
 ガラタ橋からはフェリーが行き来する。以前は石炭を焚いていた。船上で飲む10円ばかりの紅茶は格別だ。雪が舞う吹きさらしのガラタ橋で、鼻の頭を赤くしたトルコ人から鼻の頭を赤くした日本人が厚手のコートを買った。それを今でも着ている。
 巨大な橋はたくさんあるが55キロも海の上を走る香港・珠海間の高速道路などは橋とは呼べまい、左右に海しか見えないただの道路だ。スペインのビルバオには巨大なゴンドラに車と人を載せて川を渡るビスカヤ橋があって世界遺産になっている。橋というより横向きのエレベーターだが、静かに悠々と渡っていく姿は風格がある。
 娘は橋の下から拾われたという冗談を信じていたという。解放感を感じていたという。たぶん何かの親子のしがらみがあったのだろう。
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