CAN I STAY
上海の和平飯店は租界時代の重厚な建物だ。到着したのが午後11時、当然ながらフロントは冷たくFULLという。服装も家族の様子も上客ではない、しかしキーボックスにはかなりの鍵がならんでいるのは口惜しい。ここで断られては大変だ。
「今、何時だと思っている、こちらはファミ
リーだぞ」
これは理不尽な言い方でホテルに責任は
ないし、むしろそっちの言いたいセリフだろう。雰囲気を察して下の娘が走ってきたので、ひょいとカウンターに抱き上げた、同じセリフをゆっくりと繰り返す。娘が相手の顔をまじまじと見る、これで決まった。ご家族のため特別ですと丁重に鍵を渡される。
レンタカーで宿を探す。欧米の高速道路の出口にはホテルの標識があって星の数も示されている。時計を見ながら「まだ早いかな」「この地名ならいい景色がありそうだ」「おや、ないね」「もう少し行こう」そんな会話を重ねて走っているうちにあっというまに夜になる。いまだにヨーロッパの車にはナビがついていない。オーストリアで借りた車はナビ付きだとオフィスが自慢したけれど現在走っている場所を示すだけだった。
ようやく宿にたどりつく。玄関まで行くとドアを開ける前に深呼吸してあの決まり文句を練習する。ほとんど断られたことはないがダメでも別のところを教えてくれる。たいがいは電話で空室も確認してくれる、業界同士が親密なのだ。たとえフェスティバルの日でも昼過ぎに到着していれば泊まれる、日帰り客が多いのだ。
ヤンゴンのストランドホテルに自由旅行ができるようになって間もない時に泊まった。イギリスが建てた荘重な建物だが安い部屋は粗末だった、従者を泊める部屋なのだろう。10数年後に再訪したら、すっかり整備されて観光名所になっていた。まるで参拝するようにエントランスに入り式台のようなフロントに立つと、何か?場違いだよという顔をされた。以前に宿泊した、懐かしいと言ったら、YESとだけお返事があってそれきりだ。以前同様、従者と思われたのだろう。