ENJOY

 アメリカ西部で田舎町のモーテルに泊まった。木の羽目板に原色のペンキを塗った、そんな開拓時代風の作りが多い。太った女主人が金と鍵を引き換えてくれる。レストランは?何マイルか先。ドラッグストアは?すぐそこ。無愛想なやりとりだ。
 以前、やはり田舎のドラッグストアで新年の朝食を食べたことがある。客はテンガロンハットにピカピカのブーツ、拍車までつけている老人ばかり、それが後から後から入ってきてハッピーニューイヤーと挨拶を交し合う。妙な東洋人が紛れこんでいる、彼らは見てみぬふりをするのが上手だった。バーガーとチップス、アイスクリーム、おせちも雑煮もない、ここは正月儀式のない国だ。
 ビールの大瓶、バーガーにチップス、ケチャップとカラシを抱え込んで帰ろうとしたら雑誌が目についた。プレイガール、ペントハウス、なんでもいいや土産にと女房にも一冊買った。レジの男がヒューと口笛を鳴らしてニヤニヤ笑う。「どっちもお前のか」「いや、こっちは俺で、こっちは女房」「ナイスガイ、ENJOY」
 部屋に帰って女房に渡した。ビニールを破りペラペラめくると、どのページにもたくましい裸の男が甘い微笑みを浮かべている。女房がケラケラ笑う。間違えた、ゲイの雑誌だったのだ。レジの男に何を思ってENJOY
と言ったのか聞いてみたかった、もはや覆水は盆に返らない。
 アメリカでは酒を買うと茶色の紙袋に入れて中身を隠してくれるが袋だけで酒だと分る。ワシントンの地下鉄で身なりの良いご婦人がドアの側に立っていて、時々外を向く。ここは地下鉄だから窓の外など、紙袋にウィスキーが入っていたのだ。他の客は見て見ないふりをしている。しかし、彼女が降りるとすぐに不愉快を表現するざわめきが起きた。BROWN・BAGGINGという。アメリカは禁酒法を解除してからまだ日が浅い。
ENOUGH THANKYOU

 ポルトガルの田舎でペンシオンに泊まった、ブドウ農園だ。夕食はウサギだが大丈夫かと聞かれた。子どもたちには黙っているよと答えた。こちら4人とあちら4人の二つの家族の正式な晩餐になった。主人は雄弁だった、日本とポルトガルの交流の歴史、互いに不幸な時代があったことが語られた、双方英語は不自由だ。話をしているうちに気づいた、たぶん聞いてほしいことがあるのだろう。一家はサラザール独裁の時にリスボンを追われた。それからずっとブドウ畑を耕してようやくワインができた、それがこれだ、日本へ持って帰ってくれ、記念の贈り物だ。日本のお土産を持っていてよかった、返礼ができた。 
子どもに聞く、おいしかったかい、うん、ウサギの話をすると目を丸くした子どもたちに主人は優しく笑って濃いヒゲのキスをした。
 サハラ砂漠をレンタカーで走った。オアシスに人が集まっている、泳いでいるのだ。手がしびれるほど冷たい水だった。帰り道を運転してやるとベルベルの男に言われた。水を得た魚のようなハンドルさばきだ、スタントマンとして映画に出たことがあるという。あす朝、暗いうちに会おう、砂漠の日の出を見せてやる、ホテルの主人はOKサインを送ってきた。真っ暗な砂丘に曙光が差して白んでくる、とたんに一瞬の強風が吹く。陽光に温まった砂漠が息を吐くのだそうだ。ベルベルのテントでコーヒーを飲むか?いいや帰ってホテルで朝飯だ。砂漠をスタントカーの走りで帰った。兄弟のやっている絨毯屋に連れて行くよ、予想通りの展開だ。昼寝してからでいいかい、OK。チェックアウトしてすぐに出発した。町をよほど離れてから可哀想なことをしたかなと思った。しかし店に行ったところで買いはしない、ENOUGH THANKYOUと言うだけだ。彼のたくさんの兄弟の店に次々に連れまわされてしまっては大事な時間のロスになる。  
ETHNIC LANGUAGE
 プラットホームの駅名も道路標識も2つの文字で表記されている国がある。
 ナバーラではバスク語とスペイン語の対照表をインフォでくれた。もちろんバスクの旗が立っている。バスクと古くから独立志向だが他の州も分離する気運があるようだ。コンキスタドーレ以前に戻るのか。
 イギリスも連合王国を言語で示している。北部のゲール語、西部のウェールズ語だ。メニューまで二通りに書かれるのがイギリス人気質なのだろう。ケルト以前の文化からゲルマン、ローマ、バイキング、フランス、ドイツを敵にしてきたのだ。外来のものを警戒し本来のものを大切にする文化をつちかったのだろう。たぶん日本よりも節操が固いようだ。
 インドの紙幣は17の文字で記されている。これは国が保証する紙幣であると書かれているのだろう、16の文字は奇妙な模様としか思えない。その国が千ルピー札を紙くずにした。大量に溜め込んだ金持ちを懲らしめる政策だそうだ。私の旅仲間の何枚かも紙くずになった。貧民の方に近い彼は懲罰を受けておおいに嘆いた。あの模様はきっと平等を尊ぶ呪文だったのだろう。多言語を記すのは植民地からの遺風かもしれない。
 中国は植民地にならなかったので55の民族のそれに見合う文字は無視して毛沢東と簡略体の文字だけを使っている。国体も政府も文化も共産党も一つだけだと誇示して漢文化の周辺国を昔同様に朝貢させようとしている。
 ベトナムは南越、サイゴンは西貢、ホーチミンは胡志明、タンソンニュット空港は新山一だ。皇帝の李太祖リタイト、和好ホアハオ、黄文樹オァンヴァンツー、七賢ベイヒェン、長征チュロンなどというのもある。 
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