GATE
 トルコのアナトリアにエルズルムという町がある、エルズは門でルムはローマつまり西だ。ちなみに東はアナドル-アナトリアで、イスタンブールの海峡を守る東西の砦をルメリヒサル、アナドルヒサルという。エルズルムの郊外にはユーフラテス川が流れているが吹いてくるのは砂漠の乾いた風だ。少女たちが引込み線の鉄路に座ってドライフラワーの香りのする花を摘んでいた。それはファンタジーの景色、こんなところで永久の眠りにつきたいとしみじみ思ったのはトルコの道祖神の誘いがあったのだろう。
 門は結界だ。イギリスの宮殿やマナーハウスでは巨大な門で道を閉ざし、訪問者は広い芝生を通りぬけている間にみそぎをすませるのだろう。プライベートの清浄を守るための措置なのだ。
 ヒンドゥの結界は団扇を二つに切り分けた形のレンガの門だ。神社の鳥居と同じく聖域を示し、そこでケガレを払わせる。団扇はグヌンガンといい世界を象徴する山の形だ、須弥山とかフタラ山とかの名も仏教以前からある。ジャワの影絵芝居が始まるときにはグヌンガンを大きく揺らし、ちょうど榊の枝でお祓いするように、物語と舞台と演者と観客を清める。
 中国の門も外部の人を威圧するためにある。そこで侵入者、敵対者、被支配者たちをひれ伏させようとする。内側には様々な神様ならぬ共産党のお歴々がお札ならぬスローガンによって護られている。壮大な天安門の外郭の前門飯店というホテルに何度か泊まった、開放政策の前だ。近辺はまったくの門前町で芝居小屋や茶館があるノスタルジックな街だった、監視カメラなどない時代だ。しかし、どの店にも品物は乏しい。何度もメイヨ(没有・無い)をくらう、つっけんどんで商売っ気がないのは売り手が国有商店の公務員様だから、無い品物を買いにくるお前が悪い、以後気をつけろと態度で示す。この頃は社会主義諸国で宗教をすっかり復活させロシア正教も中国道教も豊かで福々しくなった。宗教は阿片だから、はまりこむと抜き差しならないと今さらレーニンが心配しているだろう。しかし庶民が天国の門に入るのはまだ難しそうだ、教会も道観も政府の支配下にあるのだから。
GOOD

「うん」「いいよ」くらいの軽い語感なのだが、中学校の英語授業のトラウマで過剰に緊張してしまう。ささいな質問に答えても先生は王様のように重々しくGOODと褒め、生徒はヘヘエと平伏したものだ。
レストランでボーイがオレンジジュースはいかがですか、今日のお勧めメニューです、テラス席が空いていますなどとチップ欲しさに猫なで声で言う、そんなときにゲップするようにGOODという。感謝の気持ちもなくあいまいに礼を言う便利な言葉だ。はっきり断るときはノーサンキューだ、こちらはそっぽを向いたままで言う。
 昔の中国の店の接客にはいらだつことが多かった。絶対にトイプチ(ごめん)と言わない。だからこちらだってシェシェ(ありがとう)とは言いたくない。突っ張りあっているのだからツァイチェン(さよなら)ではない、押し殺した声でグゥッドと相手の顔をにらみつけながら言う、覚えていろよという捨てゼリフだ。ノルマとか査定とか出生身分とかにがんじがらめになった虐げられた庶民なのだから互いに優しくしあえばいいのだけれど我慢できない時もある。
 パリに夜中に着きあわただしくホテルにチェックインした。すでに子どもたちは眠っている。部屋に入り荷物を広げて一段落したらノックがあった。顔を出すと「パルドン」と引き下がったが、再びノックがあって怒鳴りつけられた。さあ大変、フロントを呼び出す、大騒ぎの末にこちらが階をまちがえたことが分った。でもこの鍵で開いたのだ、このホテルはどの部屋も同じ鍵なのか、日本語と英語でまくしたてる、相手もフランス語で怒鳴り返す。その時、パジャマの子どもが顔を出した。突然、相手が親しみやすい顔になった、GOOD!フロントに導かれて去っていった。それにしても、G・グランドがあってR・ロビーがあって123階となるので分かりにくい。古い鳥かごのようなエレベーターで止まるとチンチンと鐘が鳴る。子どもたちは喜んで上り下り遊びをしたがフロントは見て見ぬふり、昨晩の客はもう出ていったらしく鍵が戻してあった。
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