HANDICAPPED
 やがて歳とともに健康年齢に先んじて旅行年齢が期限切れになる。好奇心は?大丈夫、食う飲むもまあまあいける、行動力と活力は少し色あせてきた。しかし人の見る目が何よりもこたえる、いい歳をして。
 世界中を車椅子の人たちが闊歩している。欧米豪にはボランティア休暇があるので障害があっても何ヶ月かの旅ができる。ラオスの辺境で会った二人の男はサイトで募集した老人と応募した若者、押される人と押す人で二ヶ月の旅をしていた。一緒の時は楽しく過ごそう旅が終わるまでだから、お互いにドライだが親密だ、互いに相手を思ってベストを尽くしている。
 三代四代が同居する家族の安らぎを残しているのはどこだろう、東南アジアや西アジアはまだ大丈夫そうだが中国には失われた。陋屋の玄関に一日中ひなたぼっこしている老人を見る、一人っ子政策、出稼ぎ、資本主義経済で田舎が荒廃した、産業立国に励むところは皆そうなる。
 ある日突然現れ住み着い異国の老人を平然と迎え入れてくれる国はどこだろう、日本の年金で生活できて酒も飲める。何ヶ国かは思いつくが一つの課題は好奇心の問題だ。毎日楽しいことばかりで退屈しないところ。
 たとえばバリ島。祭りと芸能が毎日のようにある、米の飯、魚、サティ、ビールとコーヒーも。片言の現地語がだんだん上手になっていくのを皆が喜んでくれる優しい国だ。
 あわれみとか同情ではない、さりげない振る舞いで老人の尊厳を受け入れる態度、これは欧米人の得意だが限界はある。老人は精神に優れ肉体は劣る、しかし現実には心性を育てなかった老人の独善が犯罪を引き起こす。感受性のデリカシーを失くし自己中心のバリアーを厚く張った困り者たちだ。
ありがたいことに旅行会社は老人を温かく迎え入れてくれる。もちろん営業のターゲットとしてだが。
HARLOT あそびめ
   ギリシア以来、ヨーロッパでは「美しい人」と呼ばれ王宮にも出入りしたらしい。京の島原、江戸の吉原と同じように文化を発信してきた。寺院も教会も表向きはうさんくさい目で見たが裏では享受したのも日本と同じだ。
   以前はルーマニア、ポーランドなどの大きな道の分岐には森の淑女が立っていた。ミニスカートやタンクトップの露出系の姿で身を乗り出して運転席をのぞきこむ。立ち位置の側には牧草地や麦畑へ入る細い道がありお楽しみの場になる。道路沿いに3人、4人が点々と立っているのは、車で運んできて1人ずつ下ろし暗くなる前に回収するシステムなのだろう、トラブル解決と見張りを兼ねて怖い車が近辺に止まっていた。社会主義の頃からずっと、時代に左右されずしっかりと商売をしてきたのだろう。
    オーストラリアでは家系調べが盛んで先祖にコンヴィクト(流刑囚)がいるのを喜ぶそうだ。以前はこの言葉は「人間の屑」「売春婦」と同義で公に使うことができなかったそうだ。やがてアメリカ同様、ゴールドラッシュとなり金鉱探しが全国に散らばり、中国人苦力が定住して激しく排斥された。先住民、開拓者、移民という順番でこの国も開けてきたがいつの時代にも娼婦は必要だった。
 パーティの挨拶でチャールズ皇太子が世界で一番古い職業者ですと言った時、爆笑の中に私もという声があったとか、コロンブス以前は危険な職業病はなかった。
何度か泊まったバンコクのホテルが一杯でアネックスならと言われた。他に探すのも面倒だったので鍵をもらった。部屋に入るなり女性のノックがひっきりなし、フロントに厳しく抗議して難を免れた。ベランダから見ていると男娼もいるようだった、多様な好みに応じているのだろう。
 ただこれは家族旅行では絶対にできない難易度の高い冒険だ。
HERMIT 世捨て人
   日本でも徳高い庵の主が死んだ後を寺にする、教会やモスクもそんな由緒のあるところがある。修行者が極限を求めた隔絶と静寂の地が今は観光客の聖地になっている。道路と駐車場、カフェと土産物屋が俗世の人々の欲求に応えている。 
   キリスト教も修道士に厳しい戒律を定めた。食べ物も定められている。1日2度の食事、金曜日以外は肉を食べてよい、夕食は2人で一皿の肉か乳粥、四旬節だけ昼食に2人で1ポンドのチーズと乳粥、あれば魚と野菜、 司祭と助祭は昼食にワインを3杯と夕食に2杯、その他の者は昼食に2杯と夕食に1杯、ただし、それは修道士だけが対象で修行者は保証されない。ワインは賢者をも堕落させる、全ての酩酊者は神の王国とは無援の者であると厳かに宣言されているが、イスラムと仏教はこれより禁酒が厳しい、けれど、どこにも方便という言葉があったろう。旅行をしてたくさんの修道院を見たが神々しい人にはなかなか会えなかった。たぶん外を徳高い人は俗世の顔をして出歩くのだろう。
 世界一、聖者と世捨て人が多い国はインドだ。サドゥ・行者はそこら中にいて徘徊している。昔は高齢になると森に隠棲したが、それが失われたので町に住むようになった。額に金や赤で印を描き弊衣蓬髪で自分の決めた修業をする。1年中片足で立っていたりするのは分かりやすいが、何故そんなことを?という苦行がたくさんある。しかし、あなどってはいけない、功なり名をとげた人がある日行者になることがある。だからブランドの腕時計をしていたりする。そして喧騒と汚濁の町で静寂と清浄の心を持ち思索の毎日を過ごしている、これこそ究極の世捨て人だ。
    ソウルの西大門の奇岩の山にはムーダンがいる。岩の間に敷いたゴザに座りローソクの炎が風に揺れている。日本統治の頃には迫害を受け、隠れ信徒たちが密かに支援したという。果物や餅、米と焼酎を供えて祈願し、大きな願いには豚の頭も必要だ。ただし、これは祭祀を職業とする人で、聖者とも世捨て人ともいえない。
HOTEL
 ネットの時代になって旅行は様変わりした。かつての旅行者は行き先で宿を探し、宿の方もせいぜいが電話、よほどしっかりした所でファックスのやりとりだけだった。今は飛び込みの客はまず不審に思われる。宿にしても旅行サイトで予約されていればキャンセルの補償があるから安心だ。
 サイトの写真と口コミを見ながら宿を選ぶ、安い順駅近という並べ替えをする。しかし各サイトには得手不得手がある。アメリカのサイトは中国はダメだとかシンガポールのは豪州がいいとか、ロンドンのはとか、当然、時には失敗する。フランクフルトの駅近くのビジネスホテルのはずだったが、行ってみたら昼間からジャンキーがたむろす地域だった。キャンセルしたが損をした、口コミに書き込んでうっぷんを晴らした。
 等級・料金・設備はほぼ比例するから星の数が5つもあれば広いロビーに制服姿のボーイがいて、静寂の時間と空間が提供される。しかし、それが居心地良いと思わない旅のスタイルもあるのだ。
 INN・M0TEL・HOSTAL・荘級旅館、ここでは玄関入るとすぐにフロント、古びたソファに新聞が散らかっていたりする。タクシーは提携している運転手に電話一本、美味しい食堂も知り合いで気楽だ。
 PENSION・B&Bは素人経営なので中流家庭の生活をのぞきこむことになる。地方色豊かな家庭料理に出くわしたりする。
 ヨルダンのパンシオンの主人はキリスト教徒だった。白髯碧眼の堂々とした老人で、お茶を飲みながら景気のことを話した。ゆったりした雰囲気に甘えてパックの酒を取り出した。イスラム世界を旅行するときの必需品だ。老人の目が輝いた、まだ日本酒を飲んだことがないという。コップで乾杯、最初はおそるおそる、すぐに喜悦の表情で飲み干す。もう一杯どうです。少し躊躇してこう言った、私の友だちにも飲ませてやりたい。帰国が近かったので少しだけ残ったのを進呈すると深く抱擁された。朝食のテーブルには果物が山積みになっていた。
HOT SPRINGS
 アジスアベバには温泉が湧く、JICAの青年に教えてもらった。個室バスタブという施設で成分の濃い湯がかけ流しになっている。行く道が土埃、帰りも土埃だが湯上りの気分で歩ける。エチオピオは古い王国で誇り高い人たちばかり、インジュラというシコクビエの酸っぱいパンとカレーを食べ、うやうやしい儀式で豆を焦がしコーヒーを入れる。世界遺産があるがトラックの荷台を座席にしたバスで何日かかるという行程、青年はまたそこに戻って行くという。
 台湾の太平洋側にも色々な種類の湯が湧いている。礁渓温泉は公衆大浴場のまわりに旅館街があって一昔前の日本の温泉地の雰囲気だ。台湾人は無色無味無臭を好むそうだが、台東の瑞穂にある紅葉温泉は赤茶色の強烈な温泉だ。地面から湧くのを溝で流してくる。一段低い個室の湯船に入ると貯まっていたガスで頭がくらくらした。戦前のままの畳の部屋は値段が安い。旅館の主人は原住民(台湾ではこう自称する)布農族で、朝食のブュッフェは様々なローカル食が盛りだくさん豪華でおいしい。
SPAというのは鉱泉のことだそうだ。ブタペストの橋の近くに大露天風呂があって老醜の水着の老人がぬるま湯にプカプカ浮かんでいる。ヨルダンのパルミュラ遺跡のそばにも洞窟風呂があってひんやりした空気と生温かい水が気持ちよかった。
 イギリスやドイツなどローマ時代のSPAは今では遺跡と建物を見せるだけだがトルコ文化圏は今でも入浴習慣を残している。ハマムは沸かし湯だが低温サウナと浴槽と水槽と岩盤浴のセットで、垢すりがプロの技で徹底してこそぎ落としてくれる。湯上りにはタオルで包んでくれ温かいお茶を一杯飲む、少しだけスルタンの気分になれる。
韓国の汗蒸幕にも垢すりがあるが力が強すぎて痛い、日本人差別ではなく現地の人も痛がっている。
日本の温泉にやみつきになる外国人も増えてきた、これこそ裸のつきあいだと思う。
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