IDENTITY
アメリカ人の国民性は「自由」、だから国の規制に反発する、銃もマスクも、たとえリスクを負うとしても、強烈だ。
韓国人のIDENTITYも強い。自分は中国人ではない、日本人とは絶対違う、ウリ韓国人、たぶん間違えられやすいからだろう。植民地時代とか北朝鮮とか徴兵制とか学歴貧富の格差社会とか、勝ち組はさりげなく振る舞い、負け組は大声で怒りを叫ぶ。一緒に旅ができる気のおけない仲間とはいい難い。
今は皆が1Dカードを首にぶらさげて歩いている。町の食堂ではアルバイトの名札に国籍が書かれていたりする。顔を見て出身地を当てるクイズができる。お国はベトナムですか、どこの町ですか、悪びれずに答えてくれる人が多い。ああ景色の良い町だ、行きましたとも、IDカードの取り持つ国際交流だ、ただ忙しい昼時はしてはいけない。
人種のルツボなどと言う言葉は死語に近いが、世界中の差別意識は消滅していない。建前と本音が色濃く残り、時々噴火する。ルツボでは溶かせない人間の核があることを互いに尊重し誇らしく思いたい。日本でも大阪人の核、岩手県民の核、博多の町衆の核というようなものがあり、それを発見して共感し住み着いてしまう外国人さえいる。
台湾のテレビには原住民放送があって特化したニュースや番組を流している。ならばアイヌの人たちも同じようなテレビ局を持ったらどうか。沖縄でも全国目線のNHKに対抗して地元特化のウルマ国放送を流してほしい。ついでに各地方の放送局も観光客向けの案内などやめて、地域課題の独自放送を拡大したらどうか。そうすれば日本人のIDが彩り豊かに顕われるようになると思う。日本は単一民族だなどと言う大臣がまだいるくらい為政者は一律支配にこだわる、学校も単一が好きだ。それには与せず「私」はこう存在していると主張することで自分のIDが確立する。
家庭だって夫婦それぞれIDの違和感がある。それを生育暦など個人の問題にせず、土着性という地域IDを背負わせてしまえば摩擦が少なくなるだろう。なにせ日本の基盤は広くて深いのだから仕方ない。