KINGDOM
 興の途中、亡の途中の国があるし、王の呼称も様々だ。タイ王国は世界情勢のバランスを保ちながら当たり障りなく近代化してきた。亡くなった国王は王女ともども国民から尊敬と親愛を受けており、どの家にも花で飾った写真を掲げていた。代替わりして多少、評判を落としている、第一に顔が気高くない。
 ロシア、中国は王を駆逐し共産党独裁となったが再び王を戴こうとしているようにおみうけする。北朝鮮などは三代続く王朝になった。どの支配者も正当性と慈悲を演出するため国民に写真を押しつけている。しかし花で飾られるほどの敬愛を受けていないのは気高い顔ではないからだろう。
かつて東欧の独裁者が自分の顔の切手を売り出した時にこんなジョークが流行ったそうだ。「おい切手の糊は裏側についているんだぜ」「俺はこいつの顔にツバを吐きかけたいだけなんだ」
 ヨーロッパの王室は庶民性を売り物にしているから街角で王様に出会うことがある。さすがにエリザベス女王は高齢だから無理だとしても子どもや孫は気楽に町にでてくる。公爵だ伯爵だという貴族がまだたくさんいる国なのでスキャンダルを専門に扱う新聞もある。写真で見るかぎり王室以外の貴族たちはビジネスマンの顔をしているようだ。
 アラビアの首長エミールたちの大事な政務は砂漠のテントを巡って遊牧民の話を聞くことだそうだ。懸案事項には知恵を示し、賞は気前よく罰は慈悲深く執り行うと砂漠の民はその日を記憶して臣下の務めを思い出す。そうして王との絆が深まるそうだ。
 家族も社会の小さな単位だから王国と同じ要素があろう。言葉だけでは満腹しない。食べるだけでは満ち足りない。幸福の王子のように我が身を剥がしたり、リア王のように荒野をさまよったりしたくない。だから一緒に旅に出る。体験を共有し時には思い出を語り合うことで家族の絆は深まる、旅の意義はそこにあるだろう。王国を興そう。
KISS
 当たり前だが欧米の人たちは実に上手にキスをする。広場でも通りでもスッとキスをする二人、うらやましくても修練が違うから真似できない。本場はパリ…とは限定しない、イメージを言えば、ドイツの老人と孫娘は重厚で礼儀正しくやぼったくて誠実にキスをする。父と子ならスペインだろう、スマートで親しみにあふれ互いの愛情を率直にあらわす。女同士なら東欧か、太った体の半分くらいまでようやく手を回して頬をすりよせて素朴な笑いを交わす。恋人同士なら、駅だってスーパーの前だって野原だってどこだって絵になるようなキスをする。
 ヒゲが必要だ、口髭のないキスはデザートのないディナーと同じ…だそうだ。ならばヒゲを生やそうか、それがうまくいかない。中国やベトナムの長老の垂れヒゲではキスの用にはならない。すっと立った口髭が頬をこする、そうこなくては。たぶんハブラシのように固さの好みもあるのだろう。
 豊臣秀吉は「口吸い」が好きだった、そんなラブレターが残っている。本音か、それとも文字通りのリップサービスかは分らないが、あふれるほどの富と権力を持った秀吉だからキスをされる方だってワクワクしただろう、しかし優雅で自然な挨拶行為とは思えない。
 コロナウィルスの影響で握手とキスが槍玉にあがった。習慣を崩さなければならないほどの脅威になっている。いつ復活するのか分からない。握手、抱擁、キスと欧米人は触れあうことが挨拶だった。それを代えることはできないだろう。早くワクチンの完成を望む、ニーズはこんなところにもある。
 我が子たちはキスする姿を受け流している、外国人の習慣だからと気にも留めていないようだ、お父さんにキスしようなどと金輪際思わないだろう。それも少し残念ではある。
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