NATURE
 目の前に絶景を見るとテレビやガイドブックで何度も見た景色でもまったく違って見える。つまり五感が臨場感をかもしだし、野生が理性を駆逐するということだ。そんな理屈を言っても車がたくさん止まっていたり送電線があったりして興ざめすることも多い。写真家はよけるのが上手だ。
大自然 人間を卑小に感じさせる雄大な景色だが自分は安全な所から見ている。イグアスの滝しぶきを浴びることができるのも遊覧ボートに乗りライフジャケットを着ているからだし、グランドキャニオンの絶景に目がくらむのもヘリコプターで安全に観光しているからだ。サハラの砂丘に登っても車の見える範囲からは絶対に離れないし、ドーバーの白い絶壁に立ってもすぐにカフェに戻ってお茶を飲みお菓子をつまむ。
    自然と人の営み 棚田ならバナウェーや雲南、バリ島にも絶景があるし、広大な牧草地はスコットランドもアナトリアもニュージーランドにある。エンジンボートの轟音に閉口しながらサラワク河を遡っていくとジャングルの奥に丸太小屋の屋根が見え丸木舟が木の幹に繋いである、半世紀前まで首狩りをしていた人たちだ。ジャワの白砂の浜辺に木の桟橋がリーフに向かって伸びているのは漁民が必要だったからだ。メテオラの山頂に修道僧が動く姿が見える、ギョレメの奇怪な岩屋から炊事の煙が立っている、どれも人の営みだ。飛行機の窓から見ると険しい山々に細い道がずっと続いている、やがて小さな集落になり、荒地の真ん中に大きな町が現れる。自然と人のかかわる情景は強いインパクトを持つ。
    人が作った自然 豊かな田園に点々と屋敷森がありどっしりと家々が構えている。山の斜面には整然とした植林地。ウェルズの道路は左右を石垣にはさまれて、まるで鉄道線路を行くようだ。集落ごとにパブがあり凝った看板が吊り下げられている。鉄格子の門に阻まれたマナーハウスの前庭は芝生と花を慈しむ人々が美しく手入れをしている。イギリス式と違いフランスは装飾的で絵画的な庭園を造る。ラインの古城、ミャンマーの古寺みんな自然を圧して堂々とそびえたつ。
    しかし旅行者は見ただけですぐに移動したがる。止まる事なき好奇心が先をせかすのか、または既視感デジャブに惑わされどこも同じだと思ってしまうのか、ともかくせっせと通過していく。
NIGHT TRAIN
    インド、中国、東欧では安くて便利な交通手段だ。寝台で熟睡してふと目を覚ますと空が白んでいる、やがて景色がどんどん都会になり、洗面をすまして駅に降りれば温かい朝食にありつける。夜汽車を降り立つと町に帰ってきたという感じになるのがいい、鉄路の響きがいつまでも耳に残っている。
 ブルガリアからハンガリーまで乗ったのはまだ社会主義の時代だった。コンパートメントは修学旅行の小学生で満員、わが娘も小学生だったが互いにはにかむばかりで空気は固く、まるでお見合いのようだった。あとを任せて通路に逃げ出しビールを飲んだ。国境の長い停車時間、イミグレと通関を車両ごとにするからだ。線路とレンガの壁だけが明るく照らされ銃を持って巡回する兵士の影が揺れていく。ようやく出発の汽笛が鳴った。車輪がきしみゆっくりと回転していく。コンパートメントは熟睡していたのでしかたなく通路で寝た。
 タイの夜行列車で遅い夜食をとりにいった。食堂車は片づけ始めている、帰ろうとしたら呼び止められた。制服を脱いでシャツ一枚になった男たちがビールを飲んでいる。真似してラッパで一気飲みすると喜んで仲間にしてくれた。飲み終わった瓶は窓からポンポン捨てていく。客の悪口、仲間の失態、うわさ話、冗談、そんな話題だろう。ギターを持ち出し歌い始める。隅っこで毛布にくるまって寝ている者もいる。この車両だけが明るく輝いている。折をみて帰ると告げた。勘定は?無料だ!そうはいかない、相応の紙幣を押し付けた。お互いに楽しい時間を過ごしたのだから。
 インドの2等寝台は3段のクシェット、自分たちで棚を下ろしてごろ寝する。荷物は柱にくくりつけ厳重に鍵をかける。白服の車掌が厳しい顔で巡回するがこそ泥が多い。運行は正確で早く着くこともある。大きな駅にはリタイアリングルームという休憩室があり時間単位でベッドに寝ることができる、これはありがたい。ホームの人の群れ、騒音、酷暑、これがインドだと思えばいいのだが辛いことも多い。
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