PLEASE
 現状を打破しようとする時に威力を発揮する言葉だ。明瞭な発音、強い語調でゆっくりとこう言えば相手はひるむ。
 しつこい相手を断るときはまずノーと言って相手の目を見ながら静かにプリーズとつけ加える。まことに高慢で威圧的な拒絶だ、ただし絶対に笑顔を見せてはいけない。
 大きなバッグで通路をふさいでいる、行列の前で人がモタモタしている、品物やお釣りが滞っている、そんな時にあまり温かくない言い方で行動をうながす。
 相手にプリーズと言われたらソリーと返すのが手軽な、どうぞ…はいのやりとりだ。何かしてもらった時はサンキューと返すのだが、小さなふれあいができるので笑みの一片も添えればいい。反対に相手が恐縮している時などはノープロブレムと返してやると波風が立たない、ともかく返事をすることが重要だ、以心伝心という言葉は通用しない。微笑んで口の中でなにかつぶやく、ジュゲムジュゲム、それだけでもいい。
    近頃は日本酒を積んでいる飛行機が多くなった。行きも飲みたいが帰りは切実に飲みたい。何本残っているかつい聞いてしまう、酒飲みはだらしない。アジア系のCAさんは冷たい、日本や欧米のCAさんはありがたい。最初の一本の後は2本まとめて持ってきてくれたりする。PLEASE、心待ちにする。
 南インドの街で猿に襲われた。柔らかくて温かいものが顔を覆い、一瞬、去ったときにメガネを奪われていた。つば広帽子をかぶるのが鉄則なのに油断をした。大声を出すと人が集まってきて、お辞儀して哀願したり、アメ玉やパンのかけらを投げて交換を求めたりしてくれた、しかし頑として手放さない。プリーズ、プリーズと連発したら猿は弦を噛み切って放ってよこした、レンズが欲しかったのだ。旅の終わりでよかった、以来、予備のメガネを必ず携帯している。
PORIS
 貴州から水城へ、小花苗族の踏花祭を見に行った。乗り換えのバス停がどこにあるのか分からない。道に迷った時には警察か消防署へ、のそのそ入っていくと当然ながら厳しい視線が浴びせられた、こういうところは世界共通だ。コンチワで東洋人(日本人)と分かると温声和顔になり筆談して目的が伝わった。なら車で送ってやるという、ただし100元。非番らしい若いのが自分の車で現地の警察署まで車を走らせてくれた。相手は事情を知らないからVIP扱いする。ホテルに案内してくれて明日は祭り会場までパトカーで送迎するという。盛大な祭りだった。山の上の草地で民族衣装の苗族が踊ったり歌ったり、ドブロクもしたたか飲んだ。時間通りに迎えのパトカーが来たが帰路は大渋滞、たちまちサイレンを鳴らしマイクで怒鳴りつけ、ひしめく車を蹴散らしながらあっというまにホテルに戻った。翌日、バスで町まで帰ったら警察のすぐ近くにバス停があった。しかし、価値ある100元だった。
 駐車違反は50ユーロの罰金、空いていたスペースが身障者用だったのだ。後部座席のシートベルトをしていなかったので50ユーロ。スペインでは速度違反を踏み倒した。フランスの車を日本人が運転している、スペイン警察は取立てが面倒だと思ったようだ。バリ島では信号無視で5000ルピア、ヨーロッパの10分の1の値段だ。その場で現金を受け取った警官が声をひそめて、友だちにも少しやってくれないかと言った。しかたなく3000を、サンキューと礼を言われた。
 フィリピンの空港で警官から密輸を頼まれた。洋酒の瓶を何本か自分のだと言って税関を通してくれ、向こうに仲間がいるから受け取る。その代わり礼をくれるのか。何がいい?ごちゃごちゃしていたら違う制服を着た警官が来た。彼は知らんぷりで去っていく。
密輸に成功していたら違う警官に通報されて逮捕されたかもしれない。   
                                 写真はポルトガルのカーニバル
 
PUPPET
 人形に演技をさせる芸能は世界中にあるが最高峰は日本の文楽だ、ユネスコ遺産、世界がそれを認めている。ただ観るのは中々困難だ、会場、日程、予約、料金。それを残念に思う外国人はたいへん多い。
ザルツブルグの糸操り、観客は盛装した紳士淑女、子どもは窮屈そうに行儀作法を守っている。幕間にシャンパンを飲む社交の場だ。
 トルコの影絵、コントを影絵で見せる感じで見物は爆笑。なぐりあったりこけたりするドタバタだ。
 中国の皮影、京劇譲りの複雑な技巧と繊細華麗な人形、歌あり踊りありの影絵芝居だが後継者がいないという。
 台湾の布袋戯、手に人形をかぶせて狭い舞台一杯に立ち回る公園の芸能だ。これも古典はすたれて現代風の人形が映画やテレビの活劇を演じる。
 ミャンマーでも糸操りがある。上手に馬が走ったりするが物語は乏しく見世物のように見られている。
 インドネシアの芸能はすばらしい。マハバラタという平家物語のようなバラタ一族の興亡を演じる。ワヤンクリが影絵、ワヤンオランが仮面劇、ワヤンゴレンが棒操りだ。ガムラン青銅の響きが伴奏し、歌い手の女性が細く甲高い声で歌う。中でも影絵はダランという演者がたった一人で操り語り歌い、一晩でも何日でも続けるという。ダランは背に短剣を差しプロの誇りを示している。影絵人形は水牛の皮を彫り抜き彩色して水牛の角を伸ばした操り棒につける、どれも芸術品だ。物語は宿命の悲劇で観客の喜怒哀楽を揺さぶるが現代のギャグを入れたりして笑いも誘う。
 インドは糸操り、王や妃、武士や蛇が登場する。竹のホイッスルでピッピと拍子を取りながら巧みに人形を操るが物語性は薄い。もちろん大道でなく劇場でやればラーマーヤナのドラマを演じるのだろうが技量を持つ芸人が健在なのかどうか。
 浄瑠璃だって大方の日本人にとっては外国語同然だし物語も古臭い勧善懲悪だろう。といっても文楽は世界一の人形劇だ。
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