QUARITY ねうち
 クリスマスをイタリアの田舎で過ごした。村でただ一つのレストランに村人が集まる。一人いくらの料金だけで料理も酒もお任せ、出されたワインが軽かったのは日本人向けに選んだのだろう、未だに残念だ。クリスマスの飾りつけはしてあるが歌も踊りもなしで皆が口数少なくおしゃべりするだけの地味なクリスマスイブだった。伝統的なご馳走の皿が次々に並び、お腹とおでこの固さが等しくなった時にようやくコーヒーが出た。暗い夜道を村人とともに歩いて宿まで帰った、しみじみと良かった。
 バングラディシュで吟遊詩人の演奏を聞いた。勧めてくれる人がいてゲストハウスの居間に呼んでもらった。口ききのプロがいて芸人に声をかけるシステムだそうだ、日本では五厘と呼ばれた。その晩は芸天狗の一匹狼が五人集まった。イスラムなのでカーストはないが家柄や系譜や一族の歴史を互いに知っており、尊敬や軽蔑を皆が共有している。短い音あわせと談笑の中で互いのフィーリングを受け止め、皆の技を発揮しやすい曲を選ぶ、まさに一期一会の芸だ。民族を讃える歌、村の歌、ラロン、バウルの歌(この二人は偉大な吟遊詩人の名で彼らの作った歌だそうだ)次々に演奏される。当座の財布が空になる金額を渡したが、もともと極端に物価の安い国だ、そのくらいのお金は大丈夫だ。
 スワジランドは古王国、歌と踊りの国だ、リードダンスという国を挙げてのセレモニーがある。国中から2万人の未婚の娘たちを王家の谷に集めて王母にリード(葦)を捧げ、伝統衣装つまり裸で踊りながら行進する。中の1人だけが王の妻になる。前前王は百人の妻と6百人の子どもがいたが現国王はまだたったの15人だという。町外れのロッジに泊まった。客の若者たちが中庭で歌い始めた、もちろん即興だ。夕陽がきれい、風が涼しい、夜が訪れる、それだけの歌詞だという。しばらく歌うと次の誰かが別の歌詞と曲で歌い始める。請われて演歌を歌った。彼らはすぐに覚えてゴスペルバージョンの八代亜紀を歌った。そうだ思い出した今日は女房の誕生日だ、そう言うとたちまち歌がハッピーバースデーに変わり、庭の花を摘んで髪飾りを贈ってくれた。いい夕暮れだった。
QUARREL けんか
 一昔前の釜山、郊外のバスに乗り合わせた中年の夫婦が猛烈な喧嘩を始めた。運転手はバスを止め怒鳴りあう二人を降ろした、そして乗客たちは見物している。手はださないが悪口の限りを言い合って四半時たってから運転手が「いいかい」と声をかけた。バスは二人を乗せて平然と走り始める、その頃の運転手は様(ニム)と呼ばれるほどのステイタスがあったのだ。
 タクシー、土産物屋、自称ガイド、客引き、物乞い、普通の人などホテルを出れば百人の敵が現れ戦う相手にことかかない、そういう国が多い。声を響かせて威圧する、教師や警官、部下の無能に悩まされている会社員なら思う存分発散できるだろう。インドでは物乞いが先祖代々の仕事になっているのでホテルの前は最良の稼ぎ場だ。観光客が出てくると数人がつきまとって口々に施しバクシーシを求める。縄張りの境までつきまとって次のグループに引き渡す。1度でも金を出せば情報がたちまち伝わり池の鯉のように口をあけた大人と子どもが集まってくる。ただし取り囲まれて危うくなっても絶対に手を出さないこと、警官は常に自国民に味方する。
 夫婦で旅行すると互いが自己確認をしたくなって喧嘩をする、しかし家族旅行では自重を強いられる、被保護者つまり子どもが常に目を光らせているからだ。「あの時、どうしようかと思った」などと後で子どもに言われて赤面する。夫婦が互いの失敗を笑いあう寛容で親愛の情を育てたいものだ、憤懣は外に向けるのが一番いい。イエメンの両替屋が金額をごまかした。のらりくらりとしてラチがあかない。女房が一喝した、相手は震え上がった。夫婦は強く頼もしい味方だ。
 夜中にイスタンブールのヒルトンの玄関でタクシーを待っていた。猛スピードで走ってきた車の窓からパンと音がして隣に立っていた男が倒れた。足から血を流してうめいている。ヤクザ同士の抗争なのだろう、ピストルのねらいが正確でよかった。他人のケンカに巻き込まれるのは御免こうむりたい。
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                                      写真はバリの闘鶏