RECONFARM 予約再確認
 以前は航空券のオンラインが初歩的だったのでこの手続きが必要だった。乗り継ぎする時は必須で、すぐにデスクを探してチケットを確認しなければならない。ところが深夜早朝にはどこも人がいない、航空会社のオフィスを探しても誰もいないことがある。電話で確認すればいいと言われるが、これがまた大変な作業だ。まだスマホのない時代だ。
 とうとうサンフランシスコで電話をかけなければならなくなった。フロントのを借りようとすると公衆電話を指差される。受話器を上げるとコインを入れろと命じてくるのだが、どれがダイムでクォーターなのか判別できない、アメリカの硬貨は不親切だ。ようやくつながるとペラペラと事務的な声がしてチケット番号を言ったとたんにOKで終わってしまった。さて本当にOKなのかいよいよ不安が募る、知らん顔でアイスクリームをなめている子どもたちに八つ当たりをする。チェックインまで不安が続く。
必ずホテル名と電話番号を聞かれる。決めていないことが多いし、人に知られた大ホテルには泊まらない。その上、飛行機がキャンセルになりましたと事前に知らせてもらってもどうしようもない。あいまいなことを言って終わらせるのだが背中には冷汗、顔には苦笑、こんなことで情けなく後ろめたい気持ちになりたくないのだが。
 カシマンズは小さな町で大使館も飛行機会社も道路脇にゴチャゴチャ一列に並んでいる。世界のフラッグキャリアーが小屋掛け同然、中には宝くじのボックスくらいのもありロゴマークが祭りの露店のように賑やかだ。たぶんオンラインにはなっているだろう、電線が引いてあるしパソコンも置いてある。しかし係員はジーパンにサンダル履き、欠けた歯を見せてニヤニヤ笑ったりしている。
我が子たちは喜んで各社を回りパンフレットや絵葉書をもらって歩いたがRECONFARMする会社はみすぼらしい方だった。 
 
      写真はスコットランドのホテル 静かにドアが開いて閉まった 誰もいない 妖精だという
REMAINS 遺跡
 インドで遺跡を歩いてくると友人に言ったら、遺跡の他にどこを歩けるのだと言いかえされた。紀元前から植民地時代までインドにある建造物は全部が前時代の遺跡で、そこに暮らす人たちは太古からカレーを食べチャイを飲みヒンドゥの神々に祈りを捧げてきた、つまり遺跡の守り手だ。
 文明三千年の中国も遺跡の国だが宮殿も寺も道観も文革がすべて破壊し、そして同じ世代がせっせと修復している。オリジナルをコピーするのだから偽ブランドとは言わせないのだがいかにも造り物めいて見えるのは、信仰や追慕でなく観光のための修復だからだろう。共産党はすべてを主義と党議にかかわらせるので遺跡も石像もスローガンの掲示場だ。偉大な中国、尊敬する指導者、文明的な国民、富国強兵、そんな横段幕やポスターが啓発…強制している。はるか遠くからでも目立つように赤や黄のペンキで標語が書かれているのはさすが文字の国だ。識字率を高める意図があるのかもしれない。修復は完全主義、万里の長城など完成時より整備されているだろう。漆を塗ってあった所は合成塗料で色鮮やかにし新素材の真新しいレプリカをならべる、その間を文明中国を誇る人々が大声で騒ぎながら歩いて行く。
 人のいないのが遺跡、いるのは観光地という。知らずに行って遺跡だったというのが一番印象深い。トルコのチャナカレでバスを降りてトルーヴァホテルという小さな宿に泊まった。フロントに聞く、なにか見るところがあるか、トルーヴァがいいバス停から2キロほど歩けば着く。夏の終わりの乾いた道だ、陽射しが強くて目がくらむ。ブドウを満載したトラクターが途中で乗せてくれた。柵の中には白茶けた遺跡、案内板を見て驚いたトロイだったのだ、もう40年も昔のことだ。
明日はどこに行こうか?フェリーで海峡を渡ってバスに乗ればガリポリだよ。共和国になったばかりのトルコをイギリス軍が攻め、指導者のケマル・アタチュルクが必死の戦いの末に撃退した。ガリポリは聖地となりケマルは「トルコ・チュルクの父・アタ」という姓を贈られた。明治までの日本と同様に、トルコ人は姓をもたなかった。ケマルは明治維新に多いに学んだという。
ガリポリには何がある?記念碑がある。
 遺跡見物には自分の思い入れが必要だ。期することがあってこそ満足度も高い。
 
               写真はパラグアイ、トリニダ―トのカトリック・イエズス会遺跡
RETIRED

 公園のベンチ、カフェのすみっこ、玄関に椅子を持ち出して、窓から半身をのぞかせてというのが我が仲間、退職者たちの定位置だ、おおむね無愛想だが何か聞けば熱心に話してくれる。静かに時が過ぎていくのを味わっているように見せかけて、実は退屈しているのだ。ただ警戒心が強いので笑顔とへりくだった態度で近づいていかなければなるまい。
 世界中の田舎では親代々の仕事をする事が多いから体型や風貌にその人の人生をうかがうことができる。その地方の言葉に加えて職業的な話し方もにじみでているのを聞き取るのは興味深い。満足に英語が話せない我々にはちょうどいい、流暢に話しかけでもすればとても嫌がるだろう、相手もこの外国人がどんな人なのか探っているのだ。プライベートに踏み込むことだけはタブーだ。
 インドのビザはRETIERDを許さない、最後の職業、役職、所在地、電話番号まで書くことを執拗に求める。何のためにと苛立っても書かなければビザが下りない。カーストと職業が結びついている国なので旅行者の値踏みをするのだろう。入国審査も厳重だが深夜便などはたった一つしか窓口が開いていなくて長い列ができている。係員も疲れきっているのだろうノロノロとビザとパスボートとPC画面を照合する、ほどなく引退しそうな老人だった。けれど代わってやることはできない。
 長距離バスに乗り合わせた現地の青年から年齢を聞かれた。答えると感激してくれた、その年でまだ旅行をしているのか、自分の父はすっかり老いぼれてしまった、思い出にお茶をご馳走したい。しかし彼はバスを降りるとそそくさと行ってしまった、茶交辞令た。
もちろん家族で旅行していた頃はRETIERDではなかった。家族連れはきちんとした収入源がなければ入国させない、そのまま住み着かれてしまっては困るからだ。だから国を代理する入国審査官は温情を持たない。
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             写真はトルコの場末 パンとスープの昼食を摂るリタイア―仲間