TEMPLE
宗教は巨大な建造物を造りたがる、それを見に行くのだがすぐに飽きてくる。研究者に特徴を説明してもらっても基本は同じだ。モスクならドームと幾何学模様、アラビア文字。大聖堂なら列柱と諸聖人の像、ステンドグラス。仏教寺院なら内陣の彫刻と様々な絵画、天蓋。ただ、ぼんやりしていると妙な発見をすることがある。午後の陽がステンドグラスから差しこんだ。突然、虹の七色が柱を染めてゆっくりと移っていく。やがて聖人の像にさしかかった。暗い堂内に埋もれていた聖人が華やかな衣をまとい頬を輝かせて微笑んだ。東側のステンドグラスは午前の聖人を彩るのだろう。ステンドとは曇ることのないという意味だった。
ミャンマーのパゴダは金色に輝く。門前には線香やジャスミンの花輪とならんで金箔を売る店がある。信者は一枚または数枚の金箔を持って寺に入りパゴダや像に貼り付ける。金はいよいよ厚くなり人々の信仰も深まるのだそうだ。堂内は狭く暑くて耐え難い、外に出ると風と空が清々しく清浄を感じる。
夕刻にケルンについた。駅前は大聖堂だ、雨模様の空に巨大な建物が不気味に高くそびえ立つ。その造形は黒い森だと思った、ローマが怯えたゲルマンの神秘の森。ドームの中から見上げると列柱が巨木のように高さを競い高みへ向けて育っていくようだ。仏教もフダラク山、カイラス山、須弥山など山は聖地だ。日本の神々も古代は神殿を持たず山そのものを神体として崇めた。
イスラムは塔ミナレの数でモスクの格を示し、仏教は塔の階層で高さを誇った。富を顕示して権勢を誇る、どの時代どの国にもあったことだ。それが信仰を離れると芸術作品となって観光客を集めている。
五月に木を立ててリボンで飾り歌い踊るメイポール、諏訪の御柱、クリスマスツリー、神秘な山から木をいただき、そこに神の降臨を求めて祝い祀る、民俗の行事は人間が共有する心性を感じさせてくれる。たとえ観光客であってもTEMPLEでひとときを過ごせば神様は恩寵を下してくれるだろう。