UNIFORM
どこの町でも朝の住宅街には登校する子どもたちがいる。いじめっ子もおっちょこちょいもおおむね楽しそうだ。有名私立校はお洒落なデザインの制服で「我が校が選んだ子どもたち」を誇示している。「子どもの権利親の義務」の学校は私服が多いから家庭の様子と子どもの個性が浮かび出てくる。前者は写真を厳禁し、後者は喜んでくれる。写真撮ってもいい?どうぞどうぞ、こんなやりとりがあると子どもまでかわいく見えてくる。
制服といえば軍隊だ。華麗なのはナポレオン時代、オスマントルコ、ムガール朝インドだろう、あんな格好ではたして戦闘ができたのか。日本の武士、ヨーロッパの騎士たちもお洒落だったが、画一・一斉は嫌いで自分らしさを発揮しようとした。集団の誇示と自己顕示の違いだとあっさり区分してしまうが戦闘形態の違いもある。現代の軍隊は機能的に戦闘するので余計な装飾はない、階級章だけで必要十分なのだろう。ただ、日本では災害派遣なので軍服というより作業服だ。
服装は職業を現す、ボルネオの呪術師は鼻に骨を突き刺し羽飾りをつけて威風堂々と歩いている。明治の頃に大礼服の胸に勲章を並べたお偉いさんも同じ気持ちだったろう。
学生服にプラスチックのカラーが付いているが、紳士や牧師の布のカラーを真似ただけの偽物だ。セーラー服の四角いエリは嵐の中で号令を聞く水兵のものだ。日本の学生の制服としてはまことに奇妙だ。ブレザーはイートンやケンブリッジ校に由来するし、タータンチェックのスカートはスコットランドの氏族の誇りで、今でも屈強な男たちが毛脛をむきだして履いている。そんな格好で地区運動会に集まってきて丸太切りや押しくらやハイランドダンスに熱中する。
日本のオフィスは着物姿だった女性を機能的に使うために制服を作った。背広も学生服と同じように集団帰属意識を高めるための管理と規制の代物だ。それが世界標準になったが再び個性化に回帰している。ファッションは定まらない。
民族衣装は風土や体型に合わせて作るのでどこも似合っていてそれをまとう民俗芸能は美しく感銘を受ける。