X RAYED 成人向け
 家族では絶対に行けない場所、最果ての地は風俗店だ。ネオンがギラギラ輝いてカーテンがぴったり閉まっているのが世界標準だ、開き戸を押すと中に店番が隠れている。
欧米のポルノショップは恋人同士で入る場所だそうだ、もちろんカップルは必ずということではない。明るい照明の下にグッズや本がケースの中に並んでいる。日本原案中国製作が多いようだ、百円ショップと同様に。それを日本人の感性と知恵の働きだなどと自慢して胸を張りたくはない。
 イスラムにはないと思っていたらインド人街にこっそりとあるのだそうだ、ムスリムにも敬虔な信者と不謹慎な罰当たりがいる。
 ストリップ劇場というのが日本には無くなってしまった。営業しているのは全国十指に足りないくらいだそうだ、昔の隆盛は夢のかなた。あの小汚い濁った空気の小屋、温泉街に廃墟が残されていたので覗いてみた、昔と同じようにこっそりと、荒れ果てていた。
欧米はもっと健康的で、まるでスポーツジムのように活発だ。金髪を波打たせてポールに絡まって踊る、ストレッチを裸で行っているようだ。男たちはカンビールを飲みながら野次を飛ばす、パブと同じだ。フランクフルト空港にもあった、そこにはポルノ映画館もあった。言葉は不要、途中でも出入りできるし後くされがない、都合良い退屈しのぎだ。
 けれど欧米のR指定は厳格に子どもの目を封印している。日本のコンビニが扇情的な表紙を並べているのを見たら抗議デモが起きて店は破壊されるかもしれない。ただでさえ早熟な少年少女たちを善導しなければならない良識者たちの暴力によって。
 人間が本性をむき出しにしては困る、そのための予防措置として宗教が機能した。江戸の時代はそのネジが緩んで、絢爛たるセックス産業は乗り込んできた欧米人をも魅了した。明治に身分制度が崩れるとすべてが大衆化し、この分野も奔放になった。ようやく平成になって宗教の代わりに男女共同とかフェミニズムとか性差別撤廃とかのイデオロギーが機能を発揮し始めた、などと力をこめて言うのはいささか野暮かもしれない。
                            写真はポルトガルの海辺
XERXES&XAVIER
 二人とも暗くていかにも情けない顔が世界史の教科書にさらされていた、やはり教科書は勝者のものだ。
 イランに着いて真っ先にタクシーの運転手に、その誇り高いペルシアの大王の名を聞いた。「クシャヤールシャー」そうだシャーだったのだ、ではダリウスは。「ダーレイウーシュ」運転手はうれしそうに言った。英雄はその国の名前で呼ばなければならない、当然の敬意だ。まだ国王パーレビーの時代だったので今よりもっと民族の誇りをかきたてていたのだろう。イランはシャーからイマームの国に変貌し世界と戦っている。イスラム以前の英雄はどう扱われているのだろう。ついでに映画女優だったパーレビーの美しいお妃はどうなったか。
 ザビエルが生誕したのはハビエル城だ。各国を巡って布教の旅を続け遠く日本まできた。それを追いかけるザビエル巡礼の旅行者に会った。しかしフィリピンは治安のことを思うと行きにくい国になった。インドのゴアは衛生を気にすると行かれないし、死んだ時と少しも変わらない姿で葬られているという奇跡を見せられるのも気味悪い。バチカンには右腕だけを切り取って贈ったという。カトリックは「怖いもの見せ」だ、諸国の教会に聖人の遺物を飾り、王や王妃の棺が中身の入ったまま教会に安置されている。死者にケガレはないという信仰だが、境内に入るとまず流水で手を洗わせる清浄第一の神社とは違う。聖水盆の水も清いとはいえない。
 聖骸布というのを見た。十字架のキリストの顔が布に写っているという、レプリカなのだが苦痛と悲嘆の表情が痛ましい。血の涙を流すマリア像も見た。学者が真面目に樹液だとかカビだと説明しているのがおかしい。信仰には迷いがない、それでも地球は回ると叫ぶと処刑されるのだ。
 ハビエル城は小さな城だが、そこに育った人は英雄だった。日本に信仰の種を播き、二十六聖人をはじめたくさんの殉教者の血を流した。バチカンにすれば誇らしい英雄だが日本の英雄たちにすれば困り者だったのだ。
                                写真はスペインのカーニバル
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