YACHT
 運河で結ばれている中欧の町は長いバカンスをヨットで過ごす家族が多い。レンタカーで旅する感覚だ。子どもは水遊び、大人は昼寝と読書、川岸でゆっくりと一日を過ごす。運河には跳ね上げ式の橋があり、ヨットは赤信号で車を止めてゆっくりと滑っていく。サングラスの奥さんが舵輪を握っていたりする。そんな休みを過ごす2ヶ月間だがかなり退屈そうだ。キャビンは狭いし洗濯物はたまっていく、ワイン、ビール、ハムときゅうりと玉ねぎのサンドイッチ、あとは冷凍食品か。蚊はいないが風呂はない、トイレも寝室も狭い。子どもは思いっきり走る空間が欲しいだろう。そう思うとうらやましさがだんだん消えていく。
 イギリスでは湖沼地帯がツバメ号とアマゾン号の世界だ。階級意識の強い国だからこのシリーズも上流階級の優雅な物語だと批判され、その後に下層階級の子どもたちを主人公にした本がやけに増えた。しかし、この物語は日本にまでさわやかな順風を送ってきて、いまだに湖沼地帯を聖地のように思っている大人たちがいる。
 ナイル河でもヨットが観光客を待っている、王家の谷で半日乗ってもたいした金額ではない。子どもと老人が客引きをする、ついていくとそのまま舟を漕ぎ出すので不安になるが、大人のする仕事ではないようだ。三角帆を張って川上に上り流れに乗って降りてくる、風は涼しいが日光の直射はきつい。トイレというと小島につけてくれたが一瞬、放置されるのでないかと不安になった。しかし駄賃は後払いだから大丈夫なのだ。
 遊覧船は水があればどこにもある。ベトナムのニャチャンのボートはオーストラリア人が多いので無茶をする。客を泳ロープで結んで沖まで引いていったり、ワインボトルを投げ込んで泳がせながら飲ませたりした、まるで鵜飼だ。釣りでもなんでもスポーツにしているのでのんびり舟遊びを楽しもうとする風情はない。
 ヨットハーバーには一隻何億円というYACHTが見渡す限り係留されているが、縁なき衆生に垂涎の気持ちはない。
                       
YES OR NO
 畳み込むように言われる。CAさんなら丁寧に聞きなおしてくれるのだが切符売り場ではそうはいかない。たいがいがYESという返事を求めている、NOというと話が振り出しに戻って面倒だ。
「これ買わないか」当然、答はノーなのだが日本語に直して考えてしまうとYESになる。「OK、10ドルだ」ノー。「分った、こっちなら5ドルでいい」ノー。「なら何ドルだ」YES、相手も混乱してくる。「買うのか買わないのか」YES、NO。「お前、おちょくっているのではないか」そんなスラングを吐いてにらみつけてくる。物価の安い治安の悪い国ではよくあることだ。
カフェでコーヒーを飲んでいる。観光客と見れば絵葉書や土産物が現れる。土地の人には宝くじ、チューインガム、歯ブラシ、安ピカの装身具、サングラス、言葉を返すと近づいてくるから黙って手を振る、それも面倒なので聞こえないふりをする。ところが相手が子どもだと服を引っ張って注意を引いてくる。物乞いはカフェの男が追い払ってくれるが、物売りは天下御免だ。結局、蝿のように追い払うしかない。
 イギリスやドイツの税関には英語が不慣れなことをあからさまにして意地悪をする係員がいる。ペラペラと聞いてくる、滞在目的とか滞在先とか日程とか聞かでものことばかりだ。間にまぜて「麻薬を持っているか」「犯罪歴は」YESなんて答えてしまったら大変だ。最後にニヤニヤ笑って「いい旅を」などという。「お前くらいの英語ではトラブル続きだろうよ。ひとまず入国はさせるが色々な思い出をつくって賢くなりな」ひがんで受け取ればそんなことだろう。その一部始終を後ろに並ぶ旅行者たちが注視している。 
一度だけうまくあしらったことがある。
「どこへ行くのだ」ボン、「目的は」クリスマスマーケット、それからリューゼスハイムに行って、どこへ行って。「そこには俺の父母がいる、メリークリスマス」満面の笑みで握手せんばかりだった。次の番の日本人がほっとしていることを背中で感じた。
                            写真はウルグアイの管理官
YOU OK?
 旅行中は八方気を巡らすので我を忘れることがある。ホテルでチェックアウトしたあとふと両替が気になったりする、ポカンと数秒、フロントは心配そうにこう聞く。はっと気づいてサヨナラと言い出て行く、背中の視線が続いている。
 土産物屋が口癖のように言う。値切り交渉で値段が変わるたびにYOU OK?これが最終価格だよという意思表示だ。ならいらないよと帰る仕草をすれば、マスターOKラストプライスと引き止める。こちらも価格を提示してYOU OK? 同じ言葉だがニュアンスが微妙に違う。やりとりを聞いていた親父が出てくると最終ラウンドになる。
 道に迷う、予約して地図も印刷してきたのに、小さなホテルは表通りに玄関を構えていない。大ホテルのフロントはもちろん知らないが親切なら電話をかけてくれる、道行く若い人ならスマホの翻訳機能で検索して日本語で案内してくれる。上海の小南門という場末に紹興酒を売る店があって、良い酒を壷からペットボトルに量って売ってくれる、安い。二度目に行こうとしたが道が分らない。名前も住所も知らない、量り売りの仕草、飲むまね、紹興酒という文字、聞かれた人は困惑しながらも食堂や薬屋や色々教えてくれる。ついに見つけた。もう忘れまいと店の名刺をくれと頼んだ、没有、では名前と住所を書いてくれ、親父が気色ばんだ何に使うのだ、忘れないため、しぶしぶ書いてくれたがわざと雑に書いたのか読めない。だがすぐに役に立った。ペットボトルを持ったまま博物館に行ったらセンサーが酒のアルコールに反応した。紙切れを見せると雑な文字でも彼らは読めた。YOU OK、通してくれた。
 警官や係員に言われるとうろたえる、たとえ親切であってもサンキューと返事していいのか考える。相手は念を押すように繰り返すが変な笑いが帰ってくる。業を煮やして去ってくれればこちらは安心だ、激しく追及されたら、しかたない丁寧すぎる日本語でゆっくりしゃべる、直後のYOU OKのニュアンスが決め手になる、怖いことだ。
                                写真はインドのヒンドゥ寺院で
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