ブルガリア

バラ祭りカルロヴァ

 カルロヴァで三泊した。土曜日だったので市が開かれている。蹄鉄、刃物、農具などを売る店が数軒、手作りの針や釘も並んでいる、需要がその程度なのだろう。
バラ祭の最終日でフォルクローレが行なわれるという。共産党時代の半楕円形の狭い舞台を古い椅子が取り囲んでいるホールだ。
 エプロンドレスにオレンジ色の刺繍の胸飾りをつけ長いおさげを白いリボンで結んだ女の子たちが踊る。黒いチョッキに赤い菱形の刺繍をしたお婆さんたちが一列に並び野太い声で民謡を唄う。茶のスエードの帽子とチョッキの男がバラードを唄う。膝から下をぴったり締めたズボンは乗馬服だ。茶色のショールをまとった娘が唄にあわせて古い物語を朗誦する。小さな女の子が3人唄う、二十歳くらいの娘が十数人加わって一緒に唄う。それぞれ違う模様の刺繍をつけた民俗衣装がマトリューシカ人形を並べたようだ。
 黒いズボンに赤い布を太く巻きつけた男の子たちと黄色いドレスの女の子たちが手をつないで高く足踏みして激しく踊る。一列の輪が渦を巻いてほどけていく大きな動きだ。白いブラウスに赤いスカートの女の子が二人ずつペアになり腰に手をあてたままで前後左右に軽やかにスキップする。
 2時間ほど続く。客席は百人たらず観光客はいない。ホテルもこの催しは知らなかった。午後からレスリングも行なわれるというが、どこで行なわれるのかだれも知らない。ポスターのデジカメ映像を見せたらようやく5キロほど離れた体育館でやるのではないかと一人が自信なさそうに言った。 
が来ますがなぜなのでしょうねと聞かれた。旅行社が魅力を水まししているからでしょうと答えた。

バラ祭り カザンラク

 列車は一日6本、2輌の客車をペンキの剥げ落ちた電気機関車が曳く。途中に10ばかりレンガ造りの駅があり黒い制服制帽の駅長さんが列車を出迎えてくれる。カルロヴァを出ると大回りに山を登っていく、ちょうど甲府盆地を登っていく感じだ。ずっと続くバラ畑にはピンクの花がちらほら、早朝に摘み取られてしまうからだ。
 カザンラクのバラ祭りは6月最初の一週間だが、毎日一つずつ演し物が行なわれるだけだという祭りは散漫だ。土曜日夜に「世界の踊り」大会、ブルガリアとルーマニアのプロの娘たちがフラメンコやリバーダンス、コサックダンスを次々に衣装を代えて踊る。わざわざここで見ることはない。
 日曜日にはパレードがあった。先頭は悪魔払いのクケルという一団だ。腰に大きなカウベルをいくつも下げ、高い帽子にいっぱいの花を飾り、赤いチョッキに五色の布と飾り紐、粗い黒布に鬼やケモノや女の顔を描いた仮面をつけて踊りながら行進する。時々大声で子どもをおどかしたりするのもハンガリーやスイスのナマハゲと同じだ。ガランガランとカウベルを鳴らして迫りくる長い冬の不安を吹き飛ばそうとするのだろう。 
 花と刺繍で着飾った少女たちがお婆さんと行進する。くるみわり人形のような制服を着たマーチングバンドが進んでいく。華やかなドレスで童話の主人公に扮した子どもたちとバラ色のドレスの娘たちがやってくる。ところが、その後に奇妙なファッションの若者たちがシュプレヒコールとプラカードを持って行進してくる。トラックに雑な飾り付けをしたフロートまで走ってきた、怒れる青年の抗議活動なのだろうか、バラ祭という雰囲気が失せておやおやと思う。しかし、パレードは続いてバラの女王の候補者たちや馬車に乗った中世風の一団、アラビア人に扮した一団、ふかふかした羊の皮を被って赤と黒の布の仮面をつけた狩人たちの一団が次々に行進してくる。粗い麻布で作ったケモノに木の剣で切りかかったりする。
パレードが終わると民族衣装の子どもたちが広場で輪舞をする、観光客も加わって盛り上がる。ところが子どもたちはすぐに帰ってしまい残った観光客が踊り続けている。
 この町を見下ろす山にシプカ峠があり、対トルコ戦争で勝利してブルガリア独立を果たした戦跡だそうだ。
日本人が7人住んでいるそうだ。祭で会った人は中途退職してこの地に奥さんと二人で住み着いた。二千万円あれば利息で食べていけると計算したのだがインフレが進み、ユーロに加盟していよいよ暮らせなくなってきたという。冬は寒く長く辛い。この祭にはたくさんの日本人が来ますがなぜなのでしょうねと聞かれた。旅行社が魅力を水まししているからでしょうと答えた。

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プレビューカザンラク行きの列車は一日6本、2輌の客車をペンキの剥げ落ちた電気機関車が曳く。途中に10ばかりレンガ造りの駅があり黒い制服制帽の駅長さんが列車を出迎えてくれる。カルロヴァを出ると大回りに山を登っていく、ちょうど甲府盆地を登っていく感じだ。ずっと続くバラ畑にはピンクの花がちらほら、早朝に摘み取られてしまうからだ。
 カザンラクのバラ祭りは6月最初の一週間だが、毎日一つずつ演し物が行なわれるだけだという祭りは散漫だ。土曜日夜に「世界の踊り」大会、ブルガリアとルーマニアのプロの娘たちがフラメンコやリバーダンス、コサックダンスを次々に衣装を代えて踊る。わざわざここで見ることはない。
 日曜日にはパレードがあった。先頭は悪魔払いのクケルという一団だ。腰に大きなカウベルをいくつも下げ、高い帽子にいっぱいの花を飾り、赤いチョッキに五色の布と飾り紐、粗い黒布に鬼やケモノや女の顔を描いた仮面をつけて踊りながら行進する。時々大声で子どもをおどかしたりするのもハンガリーやスイスのナマハゲと同じだ。ガランガランとカウベルを鳴らして迫りくる長い冬の不安を吹き飛ばそうとするのだろう。 
 花と刺繍で着飾った少女たちがお婆さんと行進する。くるみわり人形のような制服を着たマーチングバンドが進んでいく。華やかなドレスで童話の主人公に扮した子どもたちとバラ色のドレスの娘たちがやってくる。ところが、その後に奇妙なファッションの若者たちがシュプレヒコールとプラカードを持って行進してくる。トラックに雑な飾り付けをしたフロートまで走ってきた、怒れる青年の抗議活動なのだろうか、バラ祭という雰囲気が失せておやおやと思う。しかし、パレードは続いてバラの女王の候補者たちや馬車に乗った中世風の一団、アラビア人に扮した一団、ふかふかした羊の皮を被って赤と黒の布の仮面をつけた狩人たちの一団が次々に行進してくる。粗い麻布で作ったケモノに木の剣で切りかかったりする。
パレードが終わると民族衣装の子どもたちが広場で輪舞をする、観光客も加わって盛り上がる。ところが子どもたちはすぐに帰ってしまい残った観光客が踊り続けている。
 この町を見下ろす山にシプカ峠があり、対トルコ戦争で勝利してブルガリア独立を果たした戦跡だそうだ。
日本人が7人住んでいるそうだ。祭で会った人は中途退職してこの地に奥さんと二人で住み着いた。二千万円あれば利息で食べていけると計算したのだがインフレが進み、ユーロに加盟していよいよ暮らせなくなってきたという。冬は寒く長く辛い。この祭にはたくさんの日本人が来ますがなぜなのでしょうねと聞かれた。旅行社が魅力を水まししているからでしょうと答えた。