雲南 小花苗族踏花節
貴陽空港から火車站に行く、大きな都市で二階建てバスも走っている。六盤水まで列車で3時間少し、バスは水城乗り換えで南開郷まで。南開郷はパーミットが必要だがホテルで代行してくれる。
祭りは出演者千人、見物二万人という大規模なもので山の中腹に座って広場の行事を見物する。10時頃から芦笙舞が始まり昼食まで、午後はコンクールなどがだらだら3時頃まで続く。踊るのは小中学生が多くて部族アイデンティティを確立するのを目的にしているらしいが、本来の主旨は豊作祈願だ。会場の中心には造花を飾った椿の大木が据えられ、針葉樹の葉で全身を包んだ男たちが警固している。初めに司祭者がなにやら祈願と宣言をし、着飾った少年少女二人で捧げ物をするセレモニーの後、行政の偉い人が長い演説をして演技に入る。他に闘鶏、相撲、唱歌などのサイトもあり、露店もたくさん並んでいる。皆、新調の民俗衣装と靴でおめかししているのが目を奪う。
あちこちでドブロクが振舞われる。さっぱりした口当たりだが酔う。
少数民族の人たちは明るく親切で旅行者を大事にしてくれる。六盤水で帰りの鉄道切符を買ったが、列車をあれこれ選んでも窓口の若い女性は嫌な顔をせず、さらに切符は2枚とも進行方向に向う窓側の席、旅行者の望みを知ってくれている。行ってらっしゃいというようにニッコリしてくれたのが、年来、中国で切符を買って初めての体験だった。食べ物はそれほど豊かでなく食堂では火鍋と麺と炒飯、包子と小籠包、もっとも、これだけあれば十分だ。旅行はそれほど難しくない、列車の窓からは2時間にわたって菜の花の海、隙間なく黄色に包まれていた。桜の花も満開で春の景色がすばらしかった。
大連音楽花火大会 元宵節 旧暦1月15日
旧暦大晦日、通りのあちこちで黄色い紙を束ねたものを売っている、紙銭かと思ったら護符だった。所々から爆竹の鳴るのが聞こえる、爆竹は箱ごと売っている。街は閑散としている。
この地方の言葉は荒っぽく吐き出すようなシューシュー音が強い、ホテルの若い娘もきつい響きで応答する。春節特別番組と銘打って京劇を一日中流しているチャンネルがある、春節でなくても京劇や越劇や昆劇は放映されている。どの地方局もペキン語で話している、マスコミの力で全国民を一気に標準語化しようとしているようだ、それは以前の日本と同じだ。五十年ほど昔は湖南なまりの毛沢東の演説は一般人には理解できず、外国語に通訳するためにはそれぞれの地方の言葉を話す通訳が必要だった。
朝6時、真っ暗な空に花火があがり爆竹が鳴り始める。十階二十階というマンションのベランダに、ベランダがない所はクーラーの屋外機の上に爆竹箱をセットして点火する。道ばたに段ボール箱を置いてそこから花火を上げる。道路は赤い花火の破片でカーペットのように覆われている。花火箱も当然、放置する、一日中掃除人が竹箒で集めている。四方に花火があがり爆竹が光るのが真夜中までホテルの窓から見える。機関銃の弾倉のような爆竹セットの定価が20元、市内バスが1元ラーメンが4元という貨幣価値から見ると大散財だ。
日本でも大晦日には火を改める、京都のオケラ火がそうだ。寺社では夜通し庭火を焚く、年が代わる瞬間の何かを怖れるからだ。除夜の鐘をついて静寂を破ることも何かの侵入への警告だろう。たぶん紅白歌合戦というようなものも人々を眠らさないために歌舞を演じて年の境い目がほころびないように見張らせるという意図があるのかもしれない。
古くから中国では新年に竹を燃やして節を爆発させ、音と光で異界の魔物を追い払う行事があったそうだ。爆竹には鞭炮という名前がついている、鞭打ちの音を立てる花火という意味だ。罪人を打つ、人非人を懲らしめる、ケガレを祓う、そんな連想だろう。魔物が自分の所に来ないように、自分の所に来たヤツは他に追いやる、つまり自分が良ければそれでいいという発想だ。
町はイルミネーションで飾られる。すべての街路樹に白やピンクや赤い花が咲き、緑の葉が輝き、花火のように光が滴り落ちる。人民広場には白いイルミネーションの芝生が現れる。
新年二日の夜には花火大会がある、東洋一の広さと自慢する星海広場を会場にして数十万の市民が集まる。バスが百台も待機していて終わったあとに備えている。
7時30分、お歴々の車がノンストップで会場に入り誰かが演説すると花火が始まる。一発毎の余韻はまったくない、ひたすらの連射に大輪の尺玉が上がり、追っかぶせるようにスターマイン、せわしない。一発の完成度よりも賑々しく派手に彩られることを喜ぶのだ。最後まで見ていられなかったのは数十万の見物の移動が始まったからだ。すでにバスは満員だった、街中心まで所要20分、しかし案ずることはなく停留所ごとにどんどん降りていき、あっさりと街に戻れた。
爆竹は大晦日から始まって春節明けまで早朝深夜一日中鳴り響く。外に出れば硝煙のせいで髪の毛も顔もベタベタして妙に喉が渇く。
しかし二日になると花火屋は年始回りの手土産を売る店に代わる。ミカンが一般的、ナマコなどの海産物は高価、赤い箱で美々しく飾った土産物を無造作に道に積み上げている。
蘭州ラプラン寺法会
チベット仏教はいわゆる小乗、上座部仏教では出家することは兵役のように男の義務だから寺院は修道院を兼ね常時たくさんの修道僧を抱えている。西寧のラプラン寺で儀式が行われていた。本堂のお経が終わると300人くらいの修道僧たちが一斉に外にとび出しておしくらまんじゅうを始めた。ナツメの実を食べたりぶつけあったりして遊んでいる。そのうち偉そうな坊さんが石段の正面に座り修道僧を整列させてなにやら唱え、ひとしきり済むともっと偉そうな(僧衣に錦がついていた)坊さんがもう一段高い壇に座ってなにやら唱え皆が唱和する。新彊から来たという少しだけ英語を話す女性が「活仏」だと教えてくれた。共産党はダライ・ラマを追放したがこの寺の活仏は許しているようだ、たぶん都合がいい人物なのだろう。1時間ばかりで集会が終わり皆はドヤドヤと部屋に帰っていった。巡礼たちは儀式に少しも関心を示さずマニ車を回転させ本堂を回り続けている。大乗のように他力本願ではないのだ。確かに荘厳とか随喜の涙とかを感じさせない儀式だった。
周城 雲南の歌垣
この地域に住む少数民族のアイデンティティは独自の衣装と言語にある。写真の人たちは苗(ミャオ)族だろう、濃い藍染めに刺繍した布をパッチワークする。似たような衣装でも赤いスカーフをするのは瑶族だ。
深い山奥に住む彼らは土曜日に町に降りてきて週末を過ごし、再び山に帰っていく。ささやかな収穫や製作物を籠に入れて背負ってきて、生活用品をもち帰る、物々交換もする。
暗くなると唄と踊りになる、伴奏は芦笙という笛、少し間抜けな音が出る。乏しい街灯の下を黒っぽい衣装の人が行き交うので歌声や音楽が遠くで聞こえてもその場所が分らない。もちろんそれを求めている若い男女には分るのだろう。
日本でも歌垣は万葉以前から出会いの場だ。男女交互に即興で唄いあう。節回しと歌詞を競い、最後に負けると相手に身を任したという、もちろん合意の上だ。そうして縁を結び家庭を作る、歌の上手い機転のきく男は村の果報者だった。
雲南でもそうらしい、最上の晴れ着を着た娘がこんなに暗い中で日傘を差しているのがいじらしい。ひしめいている若い男女たちはエネルギッシュだ。
日曜日は市が立ち、帰路が長い順に引き揚げていく。