ドイツ

ケーキと泉の祭り
シュヴェービッシュ・ハル 聖霊降臨祭 5月ころ

 時代風俗でパレードする祭りは日本にも多い。京都の葵祭と時代祭、各地には大正、明治、戦国、鎌倉、平安、弥生、縄文風俗まで演出されて行進する。大名行列も数多、塩の道とかお茶壷道中とか行われているが共通するのは「似合わない」ということだ。ちょんまげがカツラ、ダンボールで作った鎧甲、ポリエステルの衣装の下にジーパンやサンダル、ツケヒゲ、ツケマツゲ、ピアスにも違和感を感じてしまう。しかし、質実で重厚なドイツ気質は安ピカ軽薄なものを一切排除し、ぴったり似合う祭りを見せてくれる。
シュヴェービッシュ・ハルは緑濃い谷間にくすんだオレンジ色の屋根と塔だけが見える、ここは製塩の町だった。中世そのままの町で「ケーキと泉の祭り」が行われる。
 大きな鉄鍋で塩を煮詰めている、皮なめしや鍛冶屋などが実演している。皮のチョッキを着た少女と思ったのは白皙の少年だった。居酒屋では音楽と寸劇がある、粉袋を運ぶ荷方と怠け者という設定のようだ。酒場の娘たちと村人と役人と神父さんが集ってフォークローレを歌う。
 中世の服を並べた貸衣装屋があるが観光客の足元は中世の革靴でなくスニーカーだ。
 川には斜めに堰ができていて、堀のように水を満たして町の一方の守りになっている。
中州の芝生に敵軍が野営をし、赤い制服の兵士たちが大砲と鉄砲を撃ち、豚の丸焼きで宴会を開いている。城壁によじのぼるパフォーマンスもある。
 夜になると教会前広場がパフォーマンス会場になる。最初に町の旗を掲げた軍楽隊を先頭に兵士たちが入場する。次に民族衣装を着た十組のカップル、鉄砲と大砲の祝砲で迎えられ市長夫妻がメダルを与える。若い人が多いのできっとスポーツや文化活動で市の名誉を高めたのだろう。喝采でセレモニーが終わると劇が演じられる。赤い長い垂鼻の司祭のような男が灯火を提げて現れ、明るく照らされた火の見やぐらのような柱に登りセリフを言うと追われるように広場から逃げ去る。もしゃもしゃの灰色の髪が長い影が不合理で奇妙な中世のあと味を残す。
 広場の火が消され十組のカップルがたいまつをかかげて入場し、スクエアダンスを踊る。それが終わると軍楽隊の演奏に合わせて全員が退場していく。
粉引き小屋の火事を塩作りの若者が消しとめ、そのお礼に大きなケーキを贈った故事だという。由緒はそれだけか、不気味な男は、泉はどうしたと疑問は尽きない。詮索せずに中世風俗を楽しめばいいのだろう、人間も衣装も本物を感じさせてくれるのだから。

マイスタートゥルンク 
ローテンブルク 6月ころ

 30年戦争で町はカトリック皇帝軍に占領され要人は死刑、町は焼き払うと決められた時、市長と司令官が賭けをして勝ったので災難を免れた、それが巨大カップのワインを飲み干すという賭けだという、酒飲みに都合のいい所がいささかある。
 祭りの最中は町は中世に戻るといっても家々と街路は重厚な昔ながら造りだから旗を掲げるだけでいい、この期間は子どもも大人も中世に生きた誰かになって生活するのだ。もちろんスターは占領軍の将軍、町を救った市長とその夫人、デイズニーランドの白雪姫の扮装でビールをラッパのみしていた、である。脇役はおつきの婦人たち、子どもたち、敵味方の兵士たちは甲冑で鉄砲を持ち顔や手足に血の跡を残して荒くれている。
羊飼いの男たちと娘たちは広場でダンスをする。魔法使いの女は怪しい薬とおみくじのような呪文を売る。
 騎兵たちは胸に蛇腹のついた派手な制服を着て毛皮の帽子をかぶり、たくましい馬にまたがって自由にあやつってみせる。
 子どもたちはとんがり帽子をかぶり木の剣を振るう。ケープをまとい髪を布で覆った女たちは糸つむぎをしている。糸巻きでジャグリングする若い娘、足踏み砥石で角細工をする老人、足踏みふいごで火を起こし鉄細工をする男、赤ちゃんを寝かしつけながら刺繍をする母親、曲がった杖に鈴をたくさん巻いて、ロバの耳のついた頭巾をかぶった羊飼いの呪術師、太鼓と笛と古楽器を演奏しバラードを歌う男と女たち、すっぽりと耳の下まで大人の帽子で覆い裸足で歩く伝令の少年、長いラッパを持った触れ役の男、素焼きのジョッキでビールを飲ませる居酒屋の女、中世の町角そのものだ。
ロビンフッドに出てくるような大男の修道僧とトランプのジョーカーの格好をした男2人がジャグリング、剣投げ、コップ投げをする、ジプシーの出で立ちをした女が長い布を大きく回しながら踊る。
 太鼓と笛を持った一隊の兵士がレストランを回って楽器を演奏し合唱する。酒を誉める唄なのだろう、大ジョッキを振るまわれていかにも勇壮だ。大砲にもたれて酔いつぶれた兵士がいる。
 男は立派なヒゲをはやし、女は肩幅の広い豊かな胸を誇り、白皙金髪の子どもたちは小公子、小公女という出で立ちをして立ち居振るまいが自然だ。まったく、この日こそが本来の姿で、ふだんは仕方なく現代の生活していますという風情だ。
 ヨーロッパの常識は人を信じないこと、日常で神を信じることを誓い続けているためだろうか、親しい人はいても信じる人はいないという道理だ。誰にでも笑顔を向け握手を求めることも、そうしなければ間柄が険悪になるからだ。どこでも素顔をさらけだし自分の弱さを示すことが友好の証になる日本の仲間づきあいなど、自分のプライドを早くから刻み込んでいるヨーロッパ人にとっては不気味としか思えないだろう。   

クリスマスマーケット


 ドイツでもクリスマスマーケットは歳末大売出し、お菓子やチーズや肉製品が出回り農機具や刃物、木工品などを新調する歳の市だった。ただし日本のように羽子板や熊手とか新年の縁起物は売っていない、稲作文化ではないからだろう。露店では知り合い同士が甘くて熱いグリューワインを手におしゃべりする、子どもたちは玩具やお菓子を買ってもらい皆が浮き浮きした時間を過ごす。回転木馬が輝き、クリスマスタワーという塔に極彩色の灯がともる。
 大きな都市では赤いサンタクロースの衣装が歩き回り、大きなクリスマスツリーが飾られるが、そんなものは今は韓国でも中国でも見られる。楽隊が出て陽気に音楽を奏でるが、それもポピュラー中心で世界中で演奏している。聖歌隊もゴスペルだったりする。
 ドイツの子どもはクリスマス一週間前からひもに吊るしたプレゼントを朝一番に開ける楽しみがあるそうだ。毎日一つずつ開けてクリスマスの日まで続く。
 マーケットの女神は金の冠に金髪、白い衣装の少女だ。ステージから人々に祝福を与えるが光の妖精と同じこしらえだ。
 観光客が行かないような小さな町にもクリスマスマーケットがある、手作りの祭りの良さがある。合唱団もブラスバンドも知り合い同士、プログラムもない。グリューワインやソーセージは高校生が売りふざけたり笑ったり、小雪がチラチラしてもお構いなしだ。けれど市のたつマルクト広場は駅から離れており路地の奥の方にある。分らないままに通行人の後をついていったら広場から家に帰る人だった。