チェイシスの歌と踊りの祭典
学校ごと地域ごとのチームで少女は頭に野の草の冠をかぶり色鮮やかな民俗衣装、手を取り合って輪になり列になって踊る。白い衣装の子たちはとりわけ肌が白く見え、茶色と白とオレンジの長いスカートの子たちは頭に飾った緑の冠が白い額を際立たせている。
しかし3月初旬の寒さだ、肌もあらわな年上の少女たちは抱き合って暖をとっている。もっと小さい女の子は唇を紫にして震えている。母親たちが心配して厚いジャンバーを着せかける。
合唱の間に独唱が入る。紹介されて列から出てきた少女が自然な様で歌い指揮をとる。
3時間ほど続いてフィナーレになった。舞台を降りてきた子どもたちは手にした風船を激しく振って破裂させるのでパンパンという軽快な音が響いた。割れずにいらだって地面にぶつける子もいる。かじかんだ手から離れて飛んでいく風船もある。木の梢にかかって大きな実の姿になる風船もあった。
北の国の22時は明るい。あと1時間半ほど夕方が続いていく。
朝から出ていた露店、ハチミツやジャム、クッキー、セッケンなどの店が刃物や木工品、生活雑具の店にまじって並んでいるたが。車から資材を下ろして手際よく店を作っていた、祭りを渡り歩くプロなのだろう、祭典が始まった時には、もうすっかり片付けられていた。
4つの仮設ステージで踊りが披露される。1つは少年少女専用で朝から歌と踊りが続いている。軽いポップスやバレエのような踊りもある、まるで学芸会のようだ。
12時から大人のステージも始まった。最初はブラスバンド。軽快なリズムに見ていた見物人の小さな男の子が踊りだす。音楽を聞くと踊りだすのが人間の自然な姿だ。
ロック専用のステージでアコースティクを弾いている。見物人はたった一人だけ、ガールフレンドなのだろう。ゲスト専用のステージがある。アフリカ系の太鼓を激しく叩いている。そこそこの人が見物しているがあまり楽しそうではない。
町の中心広場のステージが一番華やかで観客も多かった。そろいの民俗衣装を着た高齢の踊り手が次々に2、3曲ずつ踊っていく。いかにも牧畜の国という衣装の男女が互いに顔を見つめあいながら登場、プロポーズのようだ。女はうなづいて恥じらいを見せ手を取り合う。女の手には花かご片手を男の肩に置いて、男は馬の手綱を取るように踊る。召使いの姿をした女たちが落ちていたスカーフを拾い滑稽に踊る。驚いたり牽制しあったりなじったり、その表情が楽しい。村娘と洒落男がむつまじく踊る。トランブのジャックのような姿の男は澄まして村娘を誘惑する。カイゼル髭にぴったりとフロックコートを着たの男とダンダラ縞の帽子をかぶった女がドイツ風の曲にあわせてポルカを踊る。あごひげで顔半分をおおった男と頭巾の女がスラブ風の音楽に合わせて踊る。この地には四方から植民者と侵略者が往来した。19世紀にエリザベス女王が着ていたような真っ赤なスーツを着たお婆さんたちが楽しげに手を取り合って踊る。宮廷華やかなころの貴族の衣装に身を包んだ6人が現れる。貴婦人は腰から下を大きくふくらませて、公爵や男爵は身分にふさわしく正装してペアを変えつつワルツを踊る。顔を見つめて何事かささやきあい挨拶を交わしながら輪舞していく。陰謀と房事とスキャンダルの貴族の生活でダンスは欠かせない情報伝達の場だったろう。2人だけが顔を見つめて確認しあい、つかのまに人に聞こえぬ言葉をささやき、それが公然とできるのはダンスの間だけだ。
夜7時に大人たちの歌と踊りの祭典が始まった。雨の降りしきる野外舞台に千五百人余の歌い手が並んでいる。ビニールのカッパを着ているものの下は民俗衣装だ。左右にソプラノとアルト、後ろにテノールとバス、指揮者は次々に代わる、中学生くらいの少女も指揮棒を振る。圧巻の大合唱は明るくのびやかだ。ほとんどのエンディングが最高潮でプッツリ切る、スラブ風の合唱曲もあったが異質だった、暗鬱な短調や誇り高く歌い上げるわざとらしい曲風はこの国の人たちには合わないようだ。
ひときわ大きな拍手がわいて白髪の老人が二人の女性に支えられて登壇した。合唱団と観客にうやうやしくキスを贈り背を伸ばして指揮棒を取った。どんな人なのだろう、独立してまだ十数年、苦難の道を指導してきた良きコンダクターなのだろう。とくに難しい曲ではない、しかし人々の尊敬と親愛は痛いほど感じられる。
祭典の最後は国歌だ。出場した指揮者が並んでタクトを順にタクトを手渡していく。最初は軽快で次に沈思するようなリズム、ついで歯切れのいいリズムから荘厳なクライマックス、そのすべてに合唱が伴う。こんなに曲想が変わる国歌も珍しいのではないか。あの高齢の指揮者は鎮言の思いを込めたような小節を振った。