カンタノガルの祭り ヒンドゥ
ベンガルの秘宝カンタノガル寺院でプティヤ祭りをやっていると聞いた。デイナジプールのバス停は町から二キロほど離れている。バスで一緒になった学生が国営モテルにつれていってくれた、祭りは夜通し続くからこれから行こうという。しかしフロントは厳然として今日はだめ明日にしろと言う、国営の権威には逆らえない。
プティヤに渡る川には竹を編んだ橋がかかっており料金は5タカ、雨季には渡し舟が出て同額、舟頭の生活のために橋を有料にしているという。広い河原にはシバやクリシュナの粗末な像が飾られて広げた布に小銭が散らばっている、乞食カーストが製作したらしい。すぐに子どもたちが走りよってきてしつこく物乞いをする。しかし地元の荷車には寄りつかない。
寺院はこんもりした森の中にあった。狭い入り口をくぐりぬけると中央に茶色い神殿。一番下は丸く、上は角になっていても元は三層だったというが地震で崩れて二層だけ、周りは小像がぎっしり刻まれている。ラーマーヤナ、マハバラタ、ムガールの戦争、王の軍隊、天女、それらが雨風に風化している。人々は供物を捧げ、賽銭を投げる。五体投地をしているのはチベット系の人だろう、ここはネパールにもほど近い。人の顔は入り混じっていて、むしろドラヴィダの顔の方が少ない。
昼になって神像は昼食を摂る。かなり無造作に黄衣の男がかかえて、もう一人が日傘、といってもチャチなビニール傘を差しかけて回廊の部屋へ入っていく。さっきからテントの下の受付でたくさんの人が金を出し領収書をもらっている。なんだか分からなかったが子どもたちがビニール袋を売りに来た。30分もたって神像は満腹になったようで戻ってきた。地面に座ったり柵に寄りかかっていた人々がさっと集まって、領収書と引き換えに土器の皿に盛った飯とカレーをもらう。そのための袋だった。当然、野菜だけのカレーを袋に入れてうれしそうに帰っていく。直会の振る舞いなのだろうが有料ということが気になった。貧しくない人は施しを受けるのを嫌うのかもしれない。
寺院はの周りには疎林があって出店が出ている。ビニールシートで覆われた広い小屋がいくつもあって、一つは蛇や猿やアルマジロの絵看板を掲げた移動動物園だ。もっと大きいテントは美男美女、火吹き男、小人や踊り子の絵が描かれている、のぞいていたら入れと招かれた。前列は椅子席、うしろは新聞紙が散乱している。テントの隙間から登場したのはジャージを着た中年の男と女。看板の絵の面影がある。デジカメ画像を見せると喜んで俺だという。開演は午後十一時で朝までやっているという、聞きたいことはたくさんあったが英語は話せない。
立派な建物はレストランだった。ようやく英語を話す人にでくわした。ここはホテルでレストランは閉めている、寺で営業している。ここでも泊まれたのだ。十二時半からダンスと歌があると寺の方を指す。しかしダンスは伝統舞踏ではなかった。寺の裏手の窪地に大テントが五つも並んでいて、それぞれが大音量で激しいビートの音楽を流し始めた。入り口につった幕を揺り動かして中をのぞかせる。肌もあらわな数人の女がゴーゴーダンスを踊っている。どこも同じらしい。料金は20タカ、男たちが吸い込まれていく。乳房をあらわにする女がいた。そこに頬を押し当てる男がいた。豊満さが美的要素で太った濃い化粧の女が髪をふりみだして踊る姿はシヴァ神のようだ。やがて幕はぴったり閉ざされ音楽だけが聞こえてくる。小汚い老人が寄ってきてニヤニヤ笑いながら親指を出しナンバーワンとつぶやく。小学生くらいの子どもが入り込んでいる。イスラムにもベリーダンスがあるしヒンドゥは男女交歓像の本場だ。祭りにこういう出し物があっても不思議ではないと納得した。
吟遊詩人
バングラディシュで吟遊詩人の演奏を聞いた。勧めてくれる人がいてゲストハウスの居間に呼んでもらった。口ききのプロがいて芸人に声をかけるシステムだそうだ、日本では五厘と呼ばれた。その晩は芸天狗の一匹狼が五人集まった。イスラムなのでカーストはないが家柄や系譜や一族の歴史を互いに知っており、尊敬や軽蔑を皆が共有している。短い音あわせと談笑の中で互いのフィーリングを受け止め、皆の技を発揮しやすい曲を選ぶ、まさに一期一会の芸だ。民族を讃える歌、村の歌、ラロン、バウルの歌(この二人は偉大な吟遊詩人の名で彼らの作った歌だそうだ)次々に演奏される。当座の財布が空になる金額を渡したが、もともと極端に物価の安い国だ、そのくらいのお金は大丈夫だ。