インド


ラダック 各地のチベット仏教寺院ゴンパで年に一度の祭り

予定表は山本高樹氏のwebに詳しい  写真はピヤン僧院

 LCCが飛ぶようになって汽車を乗り継ぐ苦労はなくなったが急な高度移動で頭痛がひどくなった。首都レーからさらに辺境に行くには時間の余裕が必要だ。レー近辺のツェチュとかツェドゥプとかグストルとかいう法会の行われる寺ゴンパへはバス便がある。
 それにしても、なんでこんなに怖ろしい仮面が必要なのか、それは仏教の出自がヒンドゥにあるからだろう。四天王も十二神将も弁天様のサラスバティもインドでは原色で怖ろしさをむきだしにした姿だ。ただ、ラダックにはインドのべたつく汚臭に満ちたものはない、乾いた大地と青空と、もう少しあってほしい快適な空気があるだけだ。
 岩山の上にゴンパがある、チベットのラサと同じ形だ。四角い建物に囲まれた四角い広場に次々に仮面の神々が現れる。美しい仮面は仏教側の、奇怪で醜悪なのは仏敵側の登場人物だ。激しく跳躍して踊り、引き下がっていく、踊りはチャムという。顔見世のようにパレードするだけの登場人物がいるのは扮している僧侶に熟練と未熟の差があるからだろう。
 リンポチェが活仏の教祖様だ、金色の仮面で登場する。道化役の赤黒い仮面の老人は物乞いをする、観客にねだって金を求める、これもインドでは日常の一コマだ。馬、牛、鹿の仮面も出てくる。
 高僧たちはテントの下で風に吹かれている。
 巡礼たちは厚い手袋と膝当て汚れた前掛けをつけて土埃にまみれ五体投地を続けながらやってくるがすぐにマニ車を回して忙しい。上座部仏教は自己救済なのだ。
 太陽が回っていくのに合わせて見物人も移動する。意に介さずに直射日光を受けている観客も多いが、郷に従うと高山病と熱射病が重症になる。
 壁に大きく広げられた絵像タンカが畳まれると祭りは終わりだ。バス待ちの行列が長くなる前に寺を下る。
 


ダシャラ― インド各地 マイソールが有名 10月の10日間 最終日が花火

 デリーで見た。ラーマーヤナ物語にちなむ祭りだ。善はラーマ王子、悪はラーヴァナ王、誘拐される王妃がシータ、猿の勇者がハヌマーン、これはインド・南アジア世界が共有する物語だ。芝居、影絵、舞踏と様々に演じられる。インドネシアだけはマハバラタが取って代わっている。
10日間の断食する人もおりドゥルガー女神やラクシュミー女神に祈りを捧げ不浄を清めようとする。ラーヴァナの張りぼて人形を最終日に焼く。花火を打ち上げ爆竹を鳴らしてご馳走を食べ、年収の何割かを費やす。
 レッドフォートが会場になっている。巨大だがヒョロッとした張りぼてが風に揺れており露店がぎっしりと並んでいる。ひっきりなしの花火と人混みで何も見えない聞こえない。行く人帰る人の流れがものすごい、バスは超満員、タクシーもリキシャも超強気で交渉などできない。
 夕方に地区で行われていたダシャラーのほうが印象深い。3メートルくらいの竹に紙を貼り付けた人形はあっというまに燃え尽きた。素朴な打ち上げ花火と爆竹、お菓子とご馳走は地区町内会の負担でかなりの額になるという。ともかく子どもも大人もはしゃいでいた。

インド正月 ディワリ 10月頃

 ウダイプール始発のニューデリー行き夜行列車は走り始めるとすぐに外は真っ暗になった。木製の重い十五輌の客車を曳いたディーゼル機関車は畑や牧草地や荒野を快走すし半時間ほど走るとゆっくり止まった。静かにすべっていた木の影がぴたりと止まった。
 ちょうどディワリの晩、停車した町は明るくディワリを祝っていた。家々は戸口や窓に灯をともす。小さな素焼きの土器に油を注ぎ灯心を立てて火をともす。大きな家は満艦飾のように灯をまとい、窓もない小さな家は入り口に一つだけ灯をともす。ともに美しい。大人も子どもも道に出て笑いさざめいている。爆竹や花火が大きな音をたてる。寺院はイルミネーションをまたたかせている。
 町を離れると暗闇の奥に小さな灯がともっているだけだ。警笛の音が長く尾をひく。小屋の前で誇り高い鉄道員が汽車を見送る。踏み切りに汽車が走るのは一日何本かだけだ。
 Sという標示の寝台車は三段のベンチにごろんと横になるだけだ。AやBという標示の車輌はエアコンで閉鎖された空間だが、こちらは開きっぱなしの扉や窓の隙間から冷たい風が吹き込んでくる。物売りがさびた売り声を響かせ茶や弁当、菓子や飲み物を持って往復する。座席はすべて指定だが、その人が自分の権利を主張するまでは公のものだ。
 行き違いを待つ駅でひときわ大きい花火があがった。斜めに一直線に火矢のように飛んでいき少しの火花を飛ばした。すぐに大きな音が聞こえた。

プシュカルフェスティバル ラクダ市

 インドの新年の最初の満月の日まで1週間続く祭りで同時にラクダ市がある。町の郊外の砂漠に近郊から集まってきた何千というラクダと牛と馬が寝そべったり秣を食べている。長い足を折りたたんで「おねえさん座り」をしいるラクダの背中が妙に色っぽく。絶滅した草食恐竜もこうだったろうと思った。博労たちも家畜のそばにテントを張ってチャイを飲みながら情報交換している。
 移動遊園地には錆付いた大人の背丈の倍くらいの観覧車や回転木馬がごちゃごちゃ並び、弊衣裸足の子どもたちが走り回っている。大テントを張った食堂の入り口では粉をこねて熱い灰の上に直に置きチャパティを焼いている。同じ粉を丸めて灰の中につっこんだ固い団子もある。ちぎってカレーに浸して食べる。博労たちは白いヒゲを生やし汚れて灰色になったターバンとシャツと腰巻を身につけている。牧畜民のカーストは低い。 
サッカー場を一回り大きくしたグランドがあって観覧席が取り囲んでいる。12時からのラクダレースは2時になっても始まらなかった。しかしグランドのあちこちで大道芸が行なわれていて退屈はしない。少女の綱渡り、綱の上で剣を振るう若者、口に飾りのついた棹を立ててみせる大神楽、高く立てた柱の上で宙乗りをして回転してみせる。猿回し、蛇使い。白い布をかぶせた箱が動く、中に子どもがいるのだが不気味に口上を言って客を放さない。
 ラクダレースは見えなくなるほどの土煙の中を走り抜けて行った。ホースプレイは馬をすり足で歩かせたり後ろ足だけで立たせたり乗り手が立ち上がったりするだけだった。


プシュカルフェスティバル 民俗舞踏

 舞踏に先立って春駒が出た。着飾って化粧した男たちが馬の首と布の胴体をつけて激しくリズムを踏む。ラッパと太鼓と鉦が騒々しく奏でられる。日本にも似たものがあると言ったらバクシーシ(施し)をくれたらもっとやってみせると言い返された。
 小中学生の女の子が着飾ってグランドで踊る、各学校ごとのチームらしい。衣装と持ち物が違うだけのわりと簡単な振り付けの踊りだ。それがコンテストになっている。
十歳くらいの小柄な少女が踊り始めた、スターらしい。そばについた男がトルコのスーフィーのように回っている少女を真ん中に導いていく。10分以上回っていた、一生懸命に音楽に合わせて回る少女に大きな拍手が起こった。 
 さっき踊っていた子どもたちが客席で弁当を食べている。チャパティや食パンにカレー、白飯やピラフにカレーなど、アルマイトの弁当箱からスプーンで食べている。ご褒美のお菓子の袋を開いてキャッキャツと笑いあっている。濃い化粧と華やかな衣装がちぐはぐだ。しかし綱渡りや物乞いをする少女たちは砂埃の地面に座ってぼんやりしていた。
 明日はデコレーションキャメルというキラキラに飾ったラクダの行進がある。田舎の人たちのパレードもある。今夜は沐浴のための湖の周りを灯をともして行進するのだそうだ。世界中から観光客が来ている、日本語も聞こえた。