ベトナム


ニャチャンの小さな寺の祭り


 港沿いの道を歩いていた。砂浜沿いの道はリゾート客の租界のようなものだ、漁船がぎっしりと接岸しているあたりが現地の人たちのテリトリだ。
 人が集っている気配と銅鑼の音が聞こえた。寺で祭りをやっているようだ。最初は道教の服装だと思った華やかな衣装と化粧の男の子が先導して踊りの一団が堂内に入ってくる。踊りが始まる。衣装はベトナムだが踊りは広く東南アジアに見かけるバリエーションだ。少女、女性たち、お婆さん各世代が次々に踊っていく、そして会食になった。食事に誘ってくれた娘は英語を話した、しかし、どういう祭りなのかは聞いても答えられない。それは当然、観光客相手の会話と祭りの内容を説明することは文化が違う。ありがたく一皿をいただきニコニコ笑ってシーカムオン・とてもありがとうと言って帰ってきた。
 有名な祭りのシーズンではない。法会なのか法要なのか、あの男の子は祭りにどんな役割を果たしているのか聞きたいことはたくさんあったのだ。
 

王宮 復元

カトリック教会日曜参拝

 フランスが宗主国だった影響でカトリックが盛んだ、国民の30%だという。革命時に解放戦線が仏教、キリスト教の支援を受けたせいなのかドイモイ(刷新)はあったが文化大革命はなかったようだ。しかし、その習俗は仏寺とも道観とも混在している。
 白衣の司祭助祭は行列を作り聖堂に行進する。世話役の老婆たちが銅鑼を打って歓迎する。みなよそ行きの民俗衣装を着込んでいる。
 会衆は湿気と熱気の中を木の椅子に窮屈そうに座っている、男女別々だ。圧倒的に子どもが多い。
 ミサが終わると行列は牧師館に帰って行く。再び銅鑼が鳴り賛美歌らしいものが歌われる。
日曜日がハレの日なのはキリスト教だけだからか一層その笑顔が映えている。
 日本でも戦国時代に伝来した当時のカトリツクもそんなものだったのだろう。